2021年12月24日金曜日

受験の世界史B 研鑽ー19

https://recoboo.com/tudor-dynasty/
百年戦争の後、イングランドではバラ戦争が起こる。今日の研鑽はバラ戦争について。この内乱は、実情としては百年戦争の敗戦責任の押し付け合いが次代のイングランド王朝の執権争いへと発展したものだと言える。具体的には、ノルマン・コンクエスト後のプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家ヨーク家の30年にも及ぶ権力闘争で、最終的にはランカスター家の女系の血を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒しヨーク家のエリザベス王女と結婚し、テューダー朝を開いた。

百年戦争の原因を作ったエドワード3世の男子、黒太子の息子はリチャード2世。そこでこの血筋は絶える。ジョン(ランカスター家)の息子がヘンリ4世、そしてヘンリ5世と続き、仏王シャルル6世の娘カトリーヌと結婚してできた幼王・ヘンリ6世となる。
エドワード3世のもう一人の息子エドモンドの血筋がヨーク家で、ランカスター家は和平派、ヨーク家は主戦派であり、権力闘争を繰り広げていた。百年戦争に敗れヘンリー6世は精神錯乱になり、1455年第1次セント・オールバーンズの戦いで内乱の火ぶたが切られた。

以後、第一次内乱(ヨーク公の長男エドワードが、エドワード4世として王位につき、ヨーク朝が成立)、第二次内乱(一時的に復位したヘンリー6世・王太子をはじめランカスター家の王位継承者は根絶やしにされた。)、第三次内乱(エドワード4世が急死、弟のリチャード3世が幼い遺児エドワード5世を差し置いて即位、国内は混乱した。フランスに亡命していたランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーが1485年兵を率いてイングランドに上陸、ボズワースの戦いでリチャード3世を打ち破り、ヘンリー7世として即位、エドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚しヨーク家と和解し、テューダー朝が開かれた。)という経過をたどる。
*ヘンリ―・テューダーの祖父オウエン・テューダーはウェールズ君主の血を引く下級貴族だが、ヘンリー5世の未亡人でフランス王女カトリーヌ(キャサリン)と結婚したので、彼の父は、ヘンリー6世の異父弟となる。

バラ戦争後、イングランドの貴族は、戦死や処刑、嫡出男子の欠如による家門断絶などで25%程度減少した。公爵や伯爵と言った大貴族はほとんど姿を消した。ヘンリー7世は貴族数を抑制し、1485年の即位時の50家が1509年の死亡時には35家になっていた。断絶した貴族の所領は王領地化された。また、貴族の私兵の抑制もはかり、最初の議会で私兵(従属団)を保有しないことを制約させた。地方統治には、国王にとって危険な貴族に頼らず、ジェントリ(郷紳)に依存しようとするランカスター朝・ヨーク朝の政策が継続されたが、その達成には長い時間が必要だった。このような絶対王政の基礎を固めたが、コモン・ローや議会の制約の為、フランスやスペインのような強力な中央集権化には至らなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿