2021年12月20日月曜日

受験の世界史B 研鑽ー15

https://talking-english.net/domestic-partnership/
コモン・ローは、一国に共通する法律の意味で、イギリスにおいて生まれた概念である。ノルマン朝の12世紀後半から、国王裁判所で判例が蓄積され、次第に先例として体系化された。13世紀以後のイギリスの議会制度の発展と共に王権を制限する意味合いが強くなっていく。

少し専門的に言えば、記録ない時代からイギリス人を律してきた慣行と慣習上の準則で成り立ち、私人間の正義と公共の福祉の一般原理で補足され、国会制定法で変更を受ける場合がある。完成された理性、神の法とされる。

このコモン・ローは、①ノルマン人の王朝が従来のアングロ・サクソン人のそれぞれの地方の慣習に優越する「王国の一般的慣習」として用いたのがきかっけであること、②教会法と対概念であること、③ローマのブリテン征服は植民ではなかったので、他の地域のようにローマ法による政治組織や法体制が確立されなかったし、④後にエクイティー(衡平法:コモン・ローで解決されない分野に適用される法準則で、例えば自分の所有する乳牛が隣人の地に迷い込んだまま、どうしても返してくれない場合、原告としてはその乳牛を返して欲しいだけなのだが、コモン・ローでは金銭的価値の返還となる。柔軟に差し止め命令を出したりする。)という法概念が成立した。⑤判例法・不文法とも呼ばれることもある。かなりの多義性がある。

またコモン・ローの特質は、①法の支配(マグナ・カルタへの王の署名により最終的に確立)②エドワード1世が裁判官を官吏ではなく弁護士の代表から選び、行政と司法を分離した。(司法権の独立)ただし、コモン・ローでは、裁判官は仲裁者的な役割を担う。③一般市民から構成された陪審によって有罪と表決されなければ重罪について有罪の判決を与えることが出来ない陪審制が1670年から施行された。④判例主義となる。

…コモン・ローは、現在も元英連邦の国家で採用されいる。アメリカは、世界初の成文憲法を作ったが、その基礎にはコモン・ローがある。マレーシアなどでは、成文法の連邦憲法があるが、コモン・ロー=イギリス法の下にあるといえるし、シャリーアをはじめ各民族・地域の属性に応じた法も認められている。このあたり、私は法学には疎いので、とりあえず受験の世界史B・受験の政経に対応しえる範囲に留めようと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿