2021年12月12日日曜日

受験の世界史B 研鑽ー9

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さて、十字軍の話がまだ続く。第5回から第7回十字軍。これらは、世界史Bでは第4回までと比べてかなり重要度が低い。Wikipediaを調べてみたら、第5回~第8回十字軍に分類されていた。特に「Wikipediaの第5回十字軍」は、世界史Bでは省かれている。このあたり理由は不明だが、教科書にない「第4.5十字軍」として備忘録を記しておこうと思う。

第4.5十字軍(1217-21):第4回十字軍が結局イェルサレムに向かわないことに失望したインノケンティウス3世は、1213年教皇教書で新たな召集を呼びかけ、1215年の第4ラテラン公会議で正式に発布。(教皇主導の最後の十字軍)神聖ローマでは、教皇が支持するフリードリッヒ2世が即位し、フランスでも異端派(アルビ派orカタリ派:神によってつくられた精神が、悪魔によって作られた肉体・物質に囚われており、禁欲的な完徳者を中心に集団を作っていた。)を征伐するアルビジョワ十字軍が終息しかけていた。しかし、フリードリッヒ2世は十字軍には熱心ではなく、フランスでもアルビジョワ十字軍が再燃、次の教皇ホノリウス3世の呼びかけには、フランスの騎士はあまり集まらず、ハンガリー王のアンドラーシュ2世と伊・独・フランドルの騎士が参加、イェルサレム王国のジャン・ド・プリエンヌら十字軍国家とアッコーで合流した。シリアで小競り合いが続いたが、アイユーブ朝を攻略する必要があるとしてダミエッタの港を包囲する。

ここで、教皇使節のペラギウスが到着する。彼がこの十字軍の厄介者になる。十字軍の指揮権を要求し軋轢が生まれただけでなく、アイユーブ朝がクルドの反乱(1219年)が起こり、ダミエッタ港等と交換で旧イェルサレム王国領の返却を条件に和睦を申し出た際、異教徒との交渉を拒んだ。艦隊を派遣していたジェノバも商業的利益を望んで反対した。これは、聖地イェルサレムの優先度が激減したことを意味する。しかもペストが流行し、テンプル騎士団の総長も陣没した。新たな援軍が到着、ペラギウスは諸侯の反対を押し切り攻撃を命令、再度の和睦も拒否した。ついにダミエッタ港を占拠したが、ここを教皇領とするというペラギウスに、イェルサレム王は激怒しアッコーに戻ってしまう。神聖ローマの援軍も来たので、ペラギウスはカイロに進撃した。しかし、諸侯の忠告を受けず十分な食料・補給を用意せずナイル川デルタで進撃を阻まれた。ちょうど増水期で、しかも堤防を破壊され泥沼で孤立、ダミエッタを返却する条件で降伏・解放された。

ペラギウスが失敗の責任者として非難されたのは当然だが、フリードリッヒ2世も自ら行かなかったことを非難された。これが、第5回十字軍に繋がっていく。…つづく

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