2015年3月11日水曜日

中田考「カリフ制再興」を読む。3

中田考「カリフ制再興」のエントリーを続けたい。今日は、イスラーム学におけるカリフ(第2章)とカリフ制の歴史的変遷(第3章)ならびに、現代イスラーム運動(第4章)を一気に概観したいと思う。

この辺はまさに中田氏の膨大な学識が溢れている学術書的な部分であるので、高校生に教える感じで、ちょっと簡単に述べておく。まず、カリフは、(神ではなく)人間が決めるものである。次にイスラームでは、ウンマ(共同体)の長としてカリフを決めなかればならない。(カリフ擁立の義務)これは、スンナ(スンニー)派の神学・法学で決められており、今も世界中の神学校でそう教えられている。ムハンマドの出身部族であるクライッシュ族であること(クライッシュ条件)が望ましいのだが、そもそも誰が、どうやって選ぶのかなどの具体的な規定はない。スンナ派神学・法学では、結局のところ、武力で権力を握った覇者のカリフ就任を認めている。
すなわち、初代アブーバクルのようなメディアの人々のバイア(忠誠)で決まる場合もあるし、第2代ウマルの時のような禅譲の場合もあるが、また第4代アリーがらくだの戦いに敗北していれば彼のカリフ就任はなかったし、ムアーウィアーとの戦いでアリーが勝利していれば、アブーバクル以下3代のカリフは、カリフ位を奪った背教者ということになっていただろうというわけだ。後の様々なイスラム王朝のカリフも同様である。

さて、イスラームのカリフ制は、オスマントルコ帝国の崩壊後空位になっている。WWⅠからWWⅡ以降、イスラームのウンマ(共同体)もヨーロッパ型の近代領域国家になっていく。この歴史の中で最初に、カリフ擁護を訴えたのはインドのヒラーファト運動でアザードという人だという。ガンジーとともにインド独立運動に貢献したが、トルコには影響を与えれず消滅してしまう。その後、先人(サラフ:スンナ派法学祖の世代)を範とするコーランとハディースを直接参照して自ら規範を導こうとする動きが出てくる。これが復古主義(サラフィー)主義である。彼らは、3代までのカリフを批判し、アリー以下のイマームを崇拝するシーア派を激しく敵視する特徴があった。現在のサウジのワッハーブ派もこのサラフィー主義と同義に用いることの正当性はある、と中田氏は言っている。

一方、現代的問題に対しシャリーアの法体系を、(あまり神学・法学的に詳細にこだわらず)あてはめようとする平信徒の復古主義が現れる。教育の浸透による識字層の拡大が生んだもので、その代表が、かのアラブの春で注目を浴びたエジプトのムスリム同胞団である。(彼らの歴史はなかなか古いのだった。)彼らは、社会慈善活動を行ったが弾圧される。この中でクトゥブというジャーナリストが、「道標」という著作を発表し、世界的な影響を与える。

タウヒード(唯一神崇拝)とは、統治権をアッラーのみに帰すということに他ならない。人間がアッラー以外の統治権に服すること、即ち人間の人間への隷属は、ジャヒリーヤ(使徒の宣教以前のアラブの多神教の状況=無明)である。エジプトを含む全ての世界は(カリフ不在の今)ジャヒリーヤである。これは個人の問題ではなく、ウンマの問題である。社会運動の形で(本来の姿に)実現しなければならない。人間の解放でありジハードが不可欠である。クトゥブはムスリム諸国の為政者を背教者と断じたが、武力闘争を訴えたわけではなかった。しかし、これがアルカイーダなどの武装革命論に読み替えられていくわけだ。

…近代の領域国民国家は、欧米的な(=キリスト教的な)国家形態である。民主主義は法の支配によるが、ワッハーブ派などはこれを「人定法」として否定する。しかも、加藤氏の社会類型(昨年10月13日付ブログ)でいうと、ギリシア以来の自由な市民と不自由な奴隷で構成される上個人下共同体を基盤にしている。イスラムの世界との根本的な相違があるわけだ。さあ、だんだんイスラム国の姿が垣間見えてきた。

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