2015年3月15日日曜日

中田考「カリフ制再興」を読む。4

中田考「カリフ制再興」の書評・前回のエントリーの続きである。アルカイダのスタンスの話から。アルカイダといえばビン=ラディンであるが、彼の師アブドゥッラー・アッザムはパレスチナのムスリム同胞団員で、「いかにひどくシャリーアから逸脱していようとも、ムスリムの政権に対しては武力行使すべきではない。」という、古典的な異教徒の侵略者へのジハードのみを主張していた。ビン=ラディンも同じで、サウジアラビアに米軍が駐留したことを、アメリカからの侵略と見なしサウジ王家を批判したが、背教者としてジハードを仕掛けたわけではない。しかし、アルカイダはザワーヒリーらの加入後、およそ次のような3種の呉越同舟的ハイブリッド的ジバードのネットワークとなる。
①古典的な異教徒とのジハードを望むムスリム同胞団系
②サウジ外部で内戦状態となっている地域で異教徒ならびにシーア派と戦うワッハーブ派
③ムスリム諸国でイスラム法を無視した西欧風の人定法に則った統治を行う世俗主義体制とのジハードを求める復古主義的ジハード派

アルカイダは、地方にイスラム法をもとにしたイスラーム国家(そのモデルは、タリバンのアフガニスタン・イスラーム首長国)をつくり、最終的に統合する考えをもっているが、具体的なイデオロギーをもっているわけではなく、あくまでもジハードのネットワークである。

さて、いよいよイスラム国の話となるのだが、第二次湾岸戦争でサダム=フセインが失脚したイラクの情勢を鑑みる必要がある。イラクはシーア派がマジョリティでありながら、スンナ(スンニ)派のフセインが政権を握っていた。それも全体主義的にである。アメリカが占領したイラクでは、シーア派がこれに代わって政権を握った。このことは、イラクの復古主義者の目には、アッバース朝崩壊時の歴史を思い起こさせるらしい。十二イマーム派(シーア派)によってモンゴル軍がバグダッドに引き入れられ、アッバース朝のカリフ制が滅亡したのだ。今回はモンゴルでなくアメリカ軍である。したがって、シーア派支配下のスンナ派を応援し、ジハードを実行すべく、復古主義者やワッハーブ派の義勇兵がイラクに入ってくる。この中の1人がアフガンから転戦してきたアブー・ムスアブ・ザルカーウィーである。彼は2004年、ビン=ラディンとバイアを交わし、「イラクのアルカイダ」が生まれる。彼の死後、第二代の指導者となったのがアブー・ウマル・バグダーディー・フサイニーである。2012年、シリアのフロント組織(自らの関与を隠しながら公然と活動するために設ける組織)として「シャームのヌスラ戦線」を設立。2013年、この両者が合併し、ISISとなる。アルカイダのザワヒリーは時期尚早として合併を拒否した。アブー・ウマル・バグダーディー・フサイニーの死後、アブー・バクル・バグダーディーが、ISISの第二代目の指導者となったという。彼が、今回カリフ位についたわけだ。バグダットのイスラム大学で博士号を取得したクライッシュ族に出自をもつ人物らしい。これまで、エントリーしたように、カリフ位の条件のひとつに預言者と同じクライッシュ族に出自をもつという条件があるが、彼はその条件において、サウジ国王・エジプト大統領・トルコ大統領といったスンナ派世界の覇権のライバルに優っている。しかも、サイクスピコ協定・領域国民国家システムを破壊した覇者としての条件も揃っているわけだ。

…アルカイダは、そもそも古典的なジハードを標榜していたのが、対シーア派のジハード、世俗体制への復古主義的ジハードと、そのスタンスが膨らんでいったジハード・ネットワークだということが大きな発見だった。カリフ制から、現代のイスラムの運動を見ると、非常に理論的に見ることができる。アメリカのメディアが「原理主義」と呼び、日本のメディアが「過激派組織」と一括りにするのは、あえてそうしているように思えてくる。

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