2012年8月26日日曜日

捕虜尋問所『トレイシー』を読む

先日、秋田商業高校の甲子園の試合(2回戦)を応援に行った時、その前の試合だったと思うのだが、8月15日の正午を迎えた。全くの偶然だが甲子園で黙とうをさせていただくことになった。その時、読んでいたのが、『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』(中田整一著・講談社文庫/本年7月12日第1刷)である。読み終えて少したってしまったたのだが、あらためて書評を記しておきたい。

このドキュメンタリーは、アメリカの海軍・陸軍の様々な情報機関が協力し対日本兵捕虜の尋問を秘密裏に行うために『トレイシー』と暗号名で呼ばれる尋問所をカリフォルニアに設置し、様々な情報を得たという話である。ドイツとの情報戦で、すでに先行していたイギリスの尋問のスキルと捕虜の居住場所で「盗聴」(これは国際法上、非合法である。)を用いた故に、長期にわたって極秘事項として扱われていた。開戦前夜から、捕虜の持つ情報に対して組織的に対応策を練り、実際に多大な成果を得るという情報戦の見事さ、アングロサクソンの用意周到さ、まさに恐るべしである。

アメリカ軍が憂慮したのは、なにより日本語習得の難しさである。日本語のレベルが低ければ、いくら盗聴の技術が優れていても無為である。東日本大震災の後日本国籍を取得した超親日家の日本文学者ドナルド・キーン博士もこの時日本語学校で学んでいたりする。このあたりの詳細な記述はかなり興味深い。

この日本兵捕虜から得た情報は、戦時中は、日本の軍事技術の把握や空襲目標の細かな設定に主に使われた。この情報で一式陸攻の弱点が分かり、山本五十六搭乗機撃墜に直結する。なにより各都市の軍需工場や基地の緻密な爆撃が可能になったという。(戦後は、占領政策の参考にされた。)

有名な「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、与えた影響は大きい。多くの日本人捕虜は自刃しようとしたし、尋問には非協力的な者が多かった。しかし意外なことに、米軍の捕虜への扱いが丁寧であったこと(国際法上は当然なのだが…)に、心を許し帰国を断念して世捨て人となり、協力する者も多かったようだ。ちょっと不思議な感じがする。

この「生きて虜囚の辱めを受けず」の絶対的呪縛は、当時の日本兵に国際法上の捕虜の権利や対応の方法などを全く認識させることはなかったわけで、捕虜になるということすら想定させないものだったわけだ。無知なるがゆえに、意外ななほど情報を提供したらしい。日本兵の勇敢さを考えると、当の米軍すら驚いたらしい。

著者は、この絶対的呪縛は、原発の安全神話につながる、と警告する。「生きて虜囚の辱めを受けず」は、「原発は絶対安全だ」と同様、本来知るべきことを知らされていないということらしい。なるほど。様々な原発の情報が露わになって、その事実に驚愕することが多い。

甲子園で黙とうをささげながら、実は私はそんなことを考えていたのだった。

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