2012年8月14日火曜日

イスラエル考現学 שבת

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その17
安息日の新市街 誰もいない
安息日は、ヘブライ語でシャバットという。金曜日の夕方から土曜日の夕方である。(ちなみにイスラム教はその前日、キリスト教はその翌日である。)街の店がほとんど閉まり、公営交通機関もストップする。動くのはアラブ人運転手のタクシーくらいになる。さて今回は、大家さん一家にその安息日の夕食に招かれていた。残念ながら、安息日は特に神聖なものなので、写真撮影やメモをとることは失礼にあたると言う事で、このエントリーは一切を私の心細い記憶と直後に書いたメモに頼っている。
大家さんはイラン系で、出身から見るとミズラヒム(8月10日付ブログ/「家庭内別居?イスラエルの現実」参照)にあたる。正統派なのか保守派なのかわからないが、安息日の始まりの礼拝をシナゴーグで済ませてから食事会となったので開始が8:00くらいになった。熱心なユダヤ教徒である。ちなみに、奥さんはグルジア系。信仰に関しては夫ほど熱心ではないが、常に大家さんを立てているので、言われた通りしているようだ。グルジアのユダヤ教は、イランのユダヤ教と微妙に違うらしいが同じミズラヒム系なので似ているらしい。この日はちょうど、2~3年前にイスラエルに移住してきたという奥さんのお父さんとお母さんも来られていた。お父さんはグルジアの逓信省のトップだった方で威厳がある。但し、グルジア語とロシア語しかしゃべれない。私たち夫婦(日本語とリトル英語使用可)だけでなく、息子(日本語・ヘブライ語・英語・アラビア語・イディッシュ語その他使用可)、嫁にあたるTさん(日本語・英語使用可)とも直接コミュニケーションはできない。ちなみに、大家さんはヘブライ語と英語、奥さんはヘブライ語とグルジア語がしゃべれる。つまり、私が奥さんのお父さんとしゃべるには、日本語で息子に伝え、息子がそれをヘブライ語で奥さんに伝え、奥さんがグルジア語で伝える必要があるという凄い言語空間であったわけだ。(笑)

大家さん宅入口 右側に息子夫婦が住んでいる
シャバットの儀式は、大家さんの祈りから始まった。息子夫婦は勉強用のシャバット用の小冊子を持っていて、それを目で追う。大家さんは詳細に英語で説明してくれた。食事を作ってくれた女性への感謝の祈りらしい。歌があって、次に友人を交えて食事できることへの感謝の祈り。ここまでで20分近くかかった。次にワイン(赤)を大家さんが飲み、右側の奥さんのご両親、私へと順に回していく。ここで、取っ手が2つついたコップが登場する。洗面に移動し、祈りの言葉を唱えながら、手を洗うのである。右手から2回、左手を2回、もう一度右手を1回、左手を1回。(これはシャバットの手の洗い方で、朝の洗い方は右から1回、左1回を3度繰り返すらしい。)そしていよいよ食事開始。大家さんが祈りを捧げて、白いシャバット用の布をかけたパンを取りちぎりだす。これを皆にわけて、さあ食事開始である。ここまでで、我々への英語による説明もあったので1時間弱かかった。奥さんのお母さんなど、完全に辟易としていた。(笑)

グルジアでも長らく社会主義政権が続いていた関係で、ロシア移民同様ユダヤ人としての宗教生活は制限されていたので、こういう儀式的なことには意義を見いだせないのだろう。時折、露骨に嫌な顔をされる。それを気にしつつも無視して大家さんは儀式を進めていた。(笑)

奥さんの作ってくれたグルジア料理はなかなか美味であった。様々な話題が出て面白かったが、前述のように、凄い言語空間である。隣に座っていた奥さんのお父さんとは「柔道」と「札幌」の話を日本語-ヘブライ語-グルジア語の連携プレイで少しだけ出来ただけであった。言葉が通じない食事会は苦しい。お父さんは居眠りをしだしたし、お母さんは子供達を世話をするといって引っこんでしまった。この辺もユダヤ教の多文化性を強く感じた次第。結局1時半くらいまで話し込んで、最後の祈りをしてお開きとなったのだった。
安息日の超正統派の街メア・シェアリーム 車の侵入をシャットアウトしている(タクシーより)
もしこれがアシュケナジやスファラディだったらまた少し違うのかもしれない。そうそう、このエントリーで最後に触れておかねばならないことがある。1つは、大家さんはカバラを学んでいるので、カバラの要素を入れていると言っていたこと。もう1つは、私の『地球市民の記憶』にグルジアが増えたことである。お別れの時、お父さんに「スパシーポ、ダスビダーニア(有難う、さようなら)。」と下手なロシア語で言ったら、満面の笑顔を返してくれた。(笑)

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