2012年8月24日金曜日

テルアビブ特派員の記事を評す

ヤッフォからテルアビブのダウンタウンを望む
学校で朝日新聞を見ていたら、ドイツの割礼の記事が載っていた。ムスリムの割礼で大量出血した事故があり、医師が傷害罪で起訴されたという話だ。いろいろと論争があったらしいが、結局「責任ある形で行われる割礼は、ドイツでは無罪でなくてはならない。」という形で決着しそうだという話。ユダヤ教徒からは「ホロコースト以来の最大の攻撃」などの声があがったらしい。

ところで、その記事の下に特派員メモ「複雑な対立の構図 イスラエル(テルアビブ)」という記事があった。そのまま全文紹介したい。
『テルアビブへ取材に行ったときのこと。中心部の公園を通りかかると、たくさんのアフリカ系の人々が芝生に座りこんでいるのが目に入った。イスラエルは難民条約の締結国で、エジプト経由で不法入国するアフリカ人が絶えない。だが、多くは仕事を得られず、無為に過ごす。
パレスチナ人の助手が、車を止めた。「彼らと話がしたい」と言う。自分たち同様、イスラエルかの政策に苦しむ彼らに同情したのだという。ところが、助手が集団に近づくと突然、「アラブ人め、何しにきた!」と怒号が上がった。
声の主はスーダン西部ダルフール出身の男性。ダルフールでは、スーダン政府に支援されたアラブ民族によって虐殺が起きた。「パレスチナ人もアラブだけど、同じ被害者じゃないか。」なだめに入ったのは分離独立後、スーダンと対立する南スーダン人。エリトリア人、ソマリア人も集まってきて口々に意見を言う。しばらくして「この国もダメだ。」という一点でまとまり、議論は終わった。
国、民族、宗派…。対立の構図は、言葉で表現しきれないほど混沌としている。(山尾有紀恵)』

記事にある公園を、私も先日実際に見た。(8月16日付ブログ/地中海の港街を旅するⅢ参照)見るのがつらいほど、何もすることがないアフリカ系の人々がたむろしていた。長らくイスラエルの事をエントリーしてきたが、超多文化共生のイスラエルという国家の中で、彼らアフリカ難民が生きていくことは、他の欧米先進国よりさらに難しいと、アフリカ人に極めて親近感を持っている私でさえ思う。何よりヘブライ語収得という壁が立ちはだかる。エチオピアのユダヤ人を救出し、タルムード成立以前に離散した彼らには、手厚いヘブライ語収得のための教育制度をイスラエル政府は行ったが、不法入国の難民にまで手は届かないだろうと思う。一部の勤勉なアフリカ系の人々は、自力で収得を目指すだろうが、こういうアクティブさがなければ将来はない。ユダヤ人は、長年の差別の中で、いくら財産を没収されても頭の中に詰まった「知の財産」は奪われないと考えてきた。そういう選民としての知的風土を超正統派から世俗派にいたる共通認識として、ユダヤ人は持っている。

私は、そういう意味も含めて6月23日のエントリーを書いた。山尾記者の記事は、パレスチナ人の助手とダルフール出身の難民の出会いから興味深い記事を書いていると思うが、上記のユダヤの共通認識を理解しないまま「この国もダメだ」という彼らのコトバを、朝日新聞らしくリベラルという立場から意図的に結論のごとく構成しているように思うのだ。
それは少々本質からずれているのではないか、というのが私の感想である。

0 件のコメント:

コメントを投稿