2012年8月16日木曜日

地中海の港街を旅するⅢ

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その23
アッコーの灯台と十字軍時代の城壁
アッコーは素晴らしい街だった。少し後ろ髪を引かれる思いでテルアビブへ鉄道で向かう。もうバスはコリゴリである。イスラエルの鉄道はディーゼルのようだがなかなか乗り心地は良い。なんといっても揺れが少ない。ただ、車内で平気で大声で話す乗客が多い。面白いのは車窓の上部にコンセントがあり、充電できるのだ。このコンセントで充電しながら電話している人もいる。イスラエルでは、スマートフォンの普及率が凄い。いざという時に安否確認をしたり、情報を得るためのアイテムでもあるようだ。日本でもビョーキのようにスマホを触っている人が多いが、イスラエルもかなりのものである。列車は、第三の都市ハイファを通過していく。「あっ。潜水艦や。」と妻が言った。黒い船体が見えた。博物館の展示らしい。おおっ。しかし後の祭り。今回は戦車博物館で十分。(笑)テルアビブに到着した。ここでも、まずホテルに旅装を解き、荷物を置かなければならない。今回のホテルは、極めて変な構造をしていたのだった。
バウハウス的ホテル
ドアを開けるとすぐ右にバスルームがあり、階段を下がると、隣の部屋との共用スペースとのドアがある。煙草が吸えるようだ。その上にはガラス天井。さらに180度回って階段を下がると右に主寝室。左に洗面とキッチンもある。地下室になっていた。斬新なデザイン。さすが、バウハウスの街である。(テルアビブの現代建築群は世界遺産になっている。)バウハウスとは、1920年頃に始まったドイツのデザイン運動である。私と妻は、高校時代この「バウハウス」というコトバを授業で何度聞かされたことか。いやあ、ともかくいい。すばらしい。
テルアビブらしいコーヒーショップ
近くのバザールを少しひやかしてから、コーヒーブレイクで小休止。私はここで、ある出会いをする。実は私は今回街歩きの際、「LOGOS」のリュックを使っていたのだが、愛機のデジカメG12に砂防止用にフィルターとアダプターを付けていた(本年5月11日付ブログ参照)関係で、カメラの保護のために、ナショナルジオグラフィック・アフリカコレクションのインナーケースだけ持ってきて使っていたのだ。(11年4月3日付ブログ参照)アフリカ風の文様が素敵なケースである。このコーヒーショップで、同じNGのアフリカ・コレクションのバッグを持っているおばちゃんがいたのだ。おおおっ。日本でも一度も会ったことがないのに。素晴らしい出会いだ。私がインナーケースを出して、ニコッと笑うと世俗派のユダヤ人らしきおばちゃんも大喜びしたのだった。(笑)
アムハラ語の看板の街
さて、我々は、息子の言う「無国籍な街」に中華料理を食べに行くことになった。「お父さんが好きそうな街だから。」と言うのである。イスラエル第一の都会で、歴史の浅いテルアビブには、また別のイスラエルがあるらしい。セントラル・バスステーションの傍にあった。3人が中華料理を食べている間、私はじっと街の様子を見ていた。スラブ系の顔つきをした貧しそうなロシア人。フィリピン系。そして最も多いのが、エチオピア系と明らかにわかるアフリカ系の黒人たち。自転車の盗難事件だろうか、白人の警官が向こうで取り調べをしている。こっちでは、木陰が必要なこの時期に木の枝をはらってる。無気力そうな顔もあれば、希望に満ちた顔もある。いかにもワルだぜといった青年集団もいる。いいなあ。こういうアフリカっぽい街は大好きなのだ。何気なくカメラを向けようとしたら、でかい黒人が「撮るな。」と言って手をクロスした。で、すぐカメラを下に向けたのだ。彼と少し話したかった。明らかにエチオピア系ではない。「どこから来たの?」と聞くと、彼はこう言ったのだ。「lost off.」この英語が正しいものなのか、私はわからない。彼も正しい英語を知らないのかもしれない。「lost off.」…「(祖国を)失くしちまったよ。」
この言葉は大きく私の胸に突き刺さった。スーダンか、南スーダンか。ウガンダか。それともエリトリアか。先日、私はイスラエルにおけるアフリカ難民の話についてエントリーした。(6月23日付ブログ参照)まさしく、その難民の一人に遭遇したわけだ。彼の行き場のない怒りや不安、その全てが「lost off.」というコトバにあふれていた。実は、死海のスパのレストランで、私はアフリカ系の移民と出合っていた。レストランの食事後の皿を集めるという会話の必要のない仕事を黙々としていたアフリカ系の青年がいたのだ。声をかけるとスーダン人だという。彼もまた同じ難民の一人だと思われる。肩を叩いて、日本語で「頑張りや。」と言った。伝わったようだ。彼の白い歯が印象的だった。
様々なアフリカ系の難民が、イスラエルの超多文化社会で困難な営みに挑戦している。この事実を体験的に学んだ意義は大きい。

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