2012年8月13日月曜日

エレサレム近郊へ行くⅡ

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その14
ベツレヘムの聖誕教会
エレサレム近郊を巡る旅・その2は、イエスの生誕したベツレヘムである。ここもパレスチナ自治区にある。旧市街のダマスカス門近くのアラブバス(これも路線バス)のターミナルから出発し、30分程度で検問所につく。イスラエル出国にあたっては身分証提示も荷物検査もなく、すんなりと自治区に入れる。私はちょうどこの時オリーブ山(神殿の丘と対峙する旧市街の外側の小山。イエスがエレサレムの滅亡を予見して涙したという「主のの泣かれた教会」まで行った。)に登り、さらに城壁沿いにダマスカス門まで歩いた後なので、非常に疲れていた。うー、しんど。検問所の自治区側には観光客目当てのタクシーがトグロを巻いて待機している。息子が大嫌いなシチェーションである。ベツレヘムの名所である聖誕教会までは、結局タクシーを使うことになる。聖誕教会に入る前に疲労と暑さにみんなグッタリしてしまったのだった。
ベツレヘムの街はアラブ人街
特に私は低血糖状態で、何か甘いものを食べないと死ぬぞ、いや死ぬな状態になっていた。アラブ風のカフェ(と言ってもこの街は完全にアラブ人の街なのだ。)に入り、オレンジジュースと甘いお菓子で生き延びたのだった。息子も妻も「(キリスト教の教会は)お腹いっぱーい。」と言うので、聖墳墓教会と共に、聖地の中の聖地である聖誕教会にいたのは、クリスチャンからすれば何を考えているのかとお叱りを受けそうだが、ほんの少し。5分もいなかった。そもそもアラビア語が専門だった息子は、アラブ人があまり好きではないらしい。私だけ街を少し散策して早めに帰ることになった。流しのタクシーが来たので飛び乗り、(これがなかなか知的で温和なアラブ人だったので息子は喜んだ。)『壁アート』と呼ばれる地域まで運んでもらった。
『壁アート』とは、イスラエルがパレスチナ自治区との境界に巨大な壁を建設したことへの腹いせにパレスチナ自治区の人々が描いた、要するに落書きである。息子は、「日本の社会科教師として、これは見ておく価値がある。」と偉そうに言った。が、うむ、なるほど。…と低血糖が治った私は頷いてしまったのだった。なかなか面白い。と、言う前に巨大でどこまでも続く壁に圧倒されるのである。ちなみに「地球の歩き方」には、この『壁アート』、全く触れられていない。
イスラエル側に戻るには、荷物検査があり、パスポートを見せる必要がある。私たちのパスポートを確認した「軍」は二十歳前の女性兵士であった。しかもかなり態度も横柄であった。私たちのような一見さんの観光客はともかく、毎日エレサレムに通勤する自治区の人々にとっては憤懣やるせない現実だろうと思った次第。うーん。

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