2022年1月13日木曜日

受験の世界史B 研鑽ー35

https://kusanomido.com/study/history/chinese/42307/
内陸アジアの遊牧民族について今日は研鑽したい。前9~8世紀には、青銅製の馬具や武器を持った騎馬遊牧民が登場する。騎馬の技術は遊牧民に圧倒的な軍事的優位性を与え、しばしば定住農耕地帯に侵入した。血縁的な氏族・部族集団が必要に応じて連合し統率力を持つ指導者のもとに広域な国家を作り上げたが、必要性がなくなったりすると分裂も早く、隣接するオアシス民や農耕民を従える混合的な構成をもつことも多く、出自より能力主義という特徴もある。「草原の道」「オアシスの道」は東西を結ぶ交易ルートで、漢代の中国では、ブドウ、胡桃(クルミ)、胡麻(ゴマ)、胡豆(ソラマメ)などが伝わる。胡の字は西方から伝来したものに使われた。中国からは絹で、ローマ帝国で大流行する。

文献資料の上で知られる最初の遊牧国家は前7世紀頃南ロシアの草原地帯を支配したスキタイ。前4世紀頃には蔭山(インシャン)山脈の北沿い(=現内モンゴル自治区からゴビ砂漠)に匈奴、天山山脈方面の鳥孫(うそん)・甘粛(かんしゅく)、タリム盆地の東の月氏などが出現。匈奴は、前3世紀末に冒頓単干(ぼくとつぜんう:単干は統率者の意)のもと、月氏を攻撃して中央アジアのオアシス地帯を支配、漢を圧迫した。しかし武帝の時に西方に進出、交易の利益を失い衰えて、1世紀半ばに東西に分裂する。

4世紀、フンの西進(ゲルマン大移動を呼び起こす)と鮮卑などの「五胡」の華北侵入が起こる。匈奴の一種族の(けつ)、(てい)、(きょう)なども侵入。戦闘力の高い彼らは後漢の傭兵として使われたりしていたが、政治的混乱に乗じて華北に建国する。漢人は、長江以南(=江南)に移住、中国は隋の成立まで分裂が続く。この中で、北魏は鮮卑の拓跋氏が建国し、太武帝が華北を統一する。

旺文社の「ここが出る世界史Bノート」には、次のような対比で中国と騎馬民族の対峙の歴史整理されている。

前3~後1世紀 匈奴 VS 秦・漢 

2~4世紀   鮮卑 VS 魏・晋

5~6世紀    柔然 VS 北魏(鮮卑) 

6~8世紀     突厥 VS 隋・唐

8~9世紀    ウィグル VS 唐

10~12世紀   契丹 VS 五代・宋

12~13世紀   女真 VS 南宋

13~14世紀   モンゴル

14~16世紀   オイラト・タタール VS 明

17世紀      女真=

…騎馬民族は実力主義であることに注目したい。中国古来の科挙は漢民族の王朝・隋から始まっているが、メタに見た場合、この影響があるのではないか、と思われる。

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