2022年1月12日水曜日

受験の世界史B 研鑽ー34

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今回の研修は、アフリカの歴史。アフリカには文字による歴史時代が始まったのは、最古の黒人王国と言われる前9世紀のクシュ王国からである。インド洋から紅海に入り、ナイル川を使った交易で富を得た。メロエ文字が使われていたが解読されておらず、オリエントから得た鉄も使用されていた。しかし4世紀にはアビシニア=アクスム王国によって滅びた。

アビシニアは、後にエチオピア帝国と名を変え、1974年の革命で共和国になるまで続く。19世紀末の植民地化にも耐えた独立を守った。ここはアフリカでも貴重な単性論のコプト教会である。イスラムが力を伸ばす7世紀まで、インド洋の商業活動で栄えた。

一方、4世紀頃からラクダを使ったサハラ縦断コースの交易が活発化する。ニジェール川周辺を西スーダン(アラブ人が黒人の地をスーダンと名付けた。)という。8世紀に、西スーダンにガーナ王国が建てられた。(現在のガーナとはかなり離れている。)金の輸出で栄えたが、1076年、イスラム王朝のムラービト朝に滅ぼされる。以後、イスラムの南下が始まる。ガーナ王国の地にマリ王国が成立し、マンサ=ムーサ王の時、メッカ巡礼の途中立ち寄ったカイロ(マムルーク朝)で手持ちの金を配りまくって、金の価格が暴落したことで有名。岩塩も重要な交易品。14世紀に、モロッコのイブン=バットゥータがマリ王国を訪問、三大陸周遊記(大旅行記)でも書かれている。マリ王国が滅び、15世紀にソンガイ王国がが建てられた。首都はガオだが、経済の中心地はかのトンプクトゥで、黒人による初めての大学が建てられた。(ここのモスクは有名で、行きたかった。)金と岩塩の交易もマリ王国と変わらず。ソンガイ王国は、16世紀末にモロッコのイスラム勢力(サアド朝)に滅ぼされるまで続く。

中央スーダンでは、チャド湖周辺にイスラム世界への奴隷輸出で繁栄したカネム国、14世紀には名前が変わりボルヌ国が存在した。

東スーダンでは、インド洋の海の道が繫栄する。8世紀には、イスラム商人が東南アジア同様、マリンディ、モガデイッシュ、モンバサ、キルワ、モザンビークなどの港町が栄えた。ザンジバルから黒人奴隷が運ばれた。イスラム世界で黒人奴隷はザンジュと呼ぶが、ここからきている。この流れの中で、パントゥー語とアラビア語が混ざりスワヒリ語が生まれる。また、ザンベジ川流域のジンバブエの巨石建造群(グレートジンバブエ遺跡:ジンバブエに行きながらこの遺跡にもヴィクトリアの滝にも私は行っていない。)で有名なモノモタバ王国も有名である。

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