2022年1月21日金曜日

受験の世界史B 研鑽ー39

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13世紀はまさにモンゴルの世紀であり、陸と海のネットワークができ、東西の交流が盛んになった時代であった。ヨーロッパへ渡ったものは、火薬・羅針盤・印刷術。イスラム世界に渡ったものは、中国絵画の技法。(ミニアチュール:細密画の技法。これはさらに16世紀のムガル帝国へ。)イスラム世界から渡ったものは暦法・数学・医学。さらにコバルトなどの顔料(これは景徳鎮の陶磁器に影響を与えた)。

14世紀になると、地球規模で寒冷化が進み、伝染病も伝わりやすくなった。14世紀半ばの西ヨーロッパの人口の1/3を失わせたというペストがユーラシア全体に流行する。これが間接的原因。モンゴル帝国の崩壊の原因は、後継者争いによる内紛、チベット仏教への肩入れによる財政破綻(1240年にモンゴルの侵攻を受けたチベットだが、サキャ派がうまく懐柔、自治支配権を確保した。フビライ即位後はサキャ派のパクパは皇帝の師となり厚く遇されることになる。在家と出家の関係を保っていた。フビライは1268年チベットにサキャ寺、1288年に宣政院を寄進した。)、それを受けた紙幣(交鈔)の乱発による経済の混乱が直接の原因。

元においては、1351年の紅巾の乱で経済の中心地だった江南を失い、1368年に朱元璋の立てた明によって中国を追われる。北元と呼ばれモンゴリアで明への抵抗を続けるが、1388年フビライ王統最後のカーン、トグス・テムルが殺害され、帝国を構成した諸部族は分裂した。

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