2020年6月6日土曜日

東アジアの儒家の相違 考

林羅山 http://oneecho.blog.
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F40の中華系の教え子で、大卒の教え子がいた。彼女は大学で儒家を中心に学んできたという。大学の先生から「本当に儒家を学ぶのであれば日本に行くべきだ。日本にしか儒家は生きていない。」と言われたそうだ。

儒家は当然ながら中国が本家本元である。中華人民共和国になってから、かなり儒家は批判されたが、21世紀になってから、今話題の孔子学院を海外各地に作っている。だが、今の中国をウォッチしていて、儒家の思想が生きているようには私はあまり思えない。昔、M高校で中国通のK老師が「儒家は、必要だから生まれたのです。儒家の道徳を押し付けないと中国は無茶苦茶になるから。」と言っておられたのを思い出す。

儒家の「仁」「義」といった徳目は、中国共産党の外交政策や国内政策、さらに経済政策からほとんど見られない。同様に韓国政府の政策にも見られない。この二国に共通するのは、「礼」が生きているくらいだと思う。どちらかというと「面子」を重んじるという姿勢であって、国際社会に通じるものではない。(政治を抜きにして考えると、普通の人々の間では、年功序列を重視することが残っている。)また『韓国の儒教の影響』として、貧しい者は富めるものから得るという意識が強いと、ウィキにあった。8月に、彼らが言う徴用工問題で現金化が行われるという報道を思わず想起してしまう。これも儒家の影響だとは…。

こうしてみると、日本にのみ儒家が生きているというマレーシアの大学の先生の言は正しいのかもしれない。但し、教え子にも伝えたのだが、日本の儒家は、古来からある日本の思想や仏教、さらには西洋思想と共に日本人が咀嚼し、オリジナルなものに変化している。日本の儒家の特徴は、江戸期の朱子学・陽明学の影響が強く、「義」を重視することであると思う。約束を守る事、自分の役割を果たす事への強いこだわりが、日本の勤勉性を支えている。この義の裏付けは日本では「恥」である。「仁」は、仏教の「慈悲」に取って代わられている気がする。「仁」は、中国の血族間の愛情を他者にも拡大すべきと捉えるもので、極めて中国的であるからだ。「礼」は今もあるが、中国や韓国の様な形式的なものではない。集団の中でのコミュニケーションでのツールに近く、絶対視されるものではない。面子にこだわることも重視されていない。

最近特に、中韓は日本と共に儒教文化圏とされるが、本当なのか?と思うことが多い。礼は重視するが、何より「義」がない。当然ながら「仁」もない。暗澹たる思いにかられるのである。

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