2020年6月29日月曜日

マレーシアとロヒンギャ問題

https://www.sankei.com/photo/daily/news/200417/dly2004170021-n1.html
マレーシアのムヒディン首相が、これ以上のロヒンギャ難民の受け入れは不可能だと表明したようだ。ロヒンギャは、仏教国ミャンマーのマイノリティでムスリムである。マレーシアとインドネシアは同じイスラム教国であり、彼らにとっては好ましい避難国であったわけだ。
https://jp.reuters.com/article/myanmar-rohingya-malaysia-idJPKBN24009E

F42のマレー系国費生に、難民問題を教えている時、このロヒンギャ問題についてどう思うか聞いたことがある。PBL的な授業であったのだが、多くの学生が同じムスリムとして、救いの手を差し出すべきだと答えた。困っている者を助けるのは、ムスリムの教えであるからだ。ただ、社会科学として、難民問題を考えるとき、正義だけでは問題は解決しないことを伝えた。

政策として、難民の受け入れを考えるとき、何人受け入れるのか?衣食住を保証するのにどれくらいの資金が必要か?難民の受け入れ場所はどこにすべきか?住居はと必要最低限の生活用品は?これらを学生諸君に投げかけた。みんな「うーん。」と唸った。

ロヒンギャの人々は、おそらくマレー語はもちろん、英語もできないだろう。彼らを受け入れるということは、将来マレーシアで生きる術としての言語能力が必要だが、それらを教授する体制がマレーシアにあるだろうか?とも聞いた。さらにみんな「うーん。」と唸るしかない。

日本が難民申請に極めて厳しい態度をとっているが、その最大の原因は日本語の修得である。日本語を学ぶ学生たちにとって、その困難さは極めて身近な話である。難民に対し、ただ単に生活の保障をするだけでは、難民政策は完成しないわけで、実に多くの問題解決が必要であることを伝えた。特に、将来マレーシアのテクノクラートと育ってほしい人材であるからこそのPBLだったのだが、結局、「ロヒンギャ難民を受け入れる事は大変である」という以上の結論は出なかった。

今回の首相の発言を、このような背景を元に捉えるべきだろう。コロナ禍で経済が悪化しているマレーシアで、これ以上の受け入れは不可能と言わしめるほどの財政状況なのであろう。それを誰が責めることができるだろうか?実際に政権を担う責任があるということは、正義やイデオロギーだけではままならない。持てる資金で、最も効果的な政策を打つことが求められる。今回のマレーシア政府の表明は、ムスリムとして断腸の思いであったと私は思う。

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