2014年4月30日水曜日

高尾具成氏のガーナ・ルポ

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高尾具成氏の「サンダンルで歩いたアフリカ大陸」。オバマ大統領追跡ルポ、ガーナ編のエントリーを続ける。オバマ大統領がガーナを訪問したのは、民主的な選挙で、政権交代が繰り返し実現しているサブサハラ唯一の国だったからだ、と高尾氏は書いている。この訪問時、オバマ大統領とその家族は、アグラの西へ160Kmにあるケープコーストへ行っている。「アフリカ系米国人やアフリカ人の子孫である二人の娘が、”二度と戻れない扉”を通り抜けた後、再び扉を抜けて戻ってきた。-その姿を決して忘れないだろう。未来は不可知だが、風は常に人類の進歩の方向に向かって吹くのだということを思い起こさせるものだった。」と述べた。過去にガーナ入りした米大統領の中で、奴隷貿易跡地を訪問したのはオバマ大統領が始めてであった。

高尾氏は、このルポの中で、近代黒人解放運動の父と称される人物と彼と関わるビッグネーム2人の話を書いている。

1957年3月6日。ガーナの独立記念式典にキング牧師が参列している。「最後は正義が勝利するという私の信念を再確認した。自由のための闘争において私に新しい希望を与えるようにー。」とキング牧師は述べている。

1963年8月28日。リンカーンの奴隷解放から100年を記念して行われたワシントン大行進の前夜。アフリカ系米国人のW・E・B・デュボイス氏がガーナで死去した。大行進に集まった約20万人は、米国の、そしてアフリカの「近代黒人開放運動の父」に対して黙祷を捧げた。
デュボイス氏は、1900年ロンドンであった汎アフリカ会議創設大会で決議文起草の責任者を務め、以後第4回会議まで牽引した人物。

高尾氏はこう書いている。「興味深いのは、当時米公民権運動とアフリカでの植民地からの独立運動はリンクしていたことだった。」

アクラのカトリック学校で教鞭をとっていたエンクルマ氏(ガーナ初代大統領)は、1935年に米国に」渡り、ニューヨークのハーレムでも暮らした。デュボイス氏に強く影響を受け、公民権運動への連帯を深めた。1945年、ロンドンに渡り、その年全アフリカの開放や独立、そして統一を掲げて18年ぶりに開催された第5回汎アフリカ会議の中心人物としてデュボイス氏とともに奔走した。

1957年。ガーナ独立。このときデュボイス氏は米政府のパスポート発行拒否により独立に立ち会えていない。しかし、1961年エンクルマ大統領に請われガーナに渡った。妻とともに米国籍を放棄し、ガーナの市民権を獲得したあと95歳で死去したわけだ。

オバマ大統領は、デュボイス氏が眠るアクラ中心部のデュボイスセンターを訪れることはなかったが、米国から彼によって持ち込まれた黒人史関係の書物数千冊が朽ち色あせながらも並んでいる。同センターで働くディクさんは、オバマ大統領はアフリカ人に対しての自信や自立を促した演説を聴いて、デュボイス氏の銘文を指し示しながら右の握りこぶしで自らの胸を二度、力強くたたいたのだった。

…オバマは、米大統領として、自分の故郷に錦を飾るより、アフリカ系米国人として黒人解放運動の故郷を訪れたのだ、といえるだろう。

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