2014年4月7日月曜日

高尾具成氏のマンデラ・ルポ

http://www.aids.org.za/970/
高尾具成氏の「サンダルで歩いたアフリカ大陸」、南ア・ルポの続編は、マンデラ氏の話である。また印象に残った部分をエントリーしておきたい。

マンデラ氏はコサ人で、テンプの首長と第三婦人の子。本名は「ロリフラフラ・マンデラ」という。我々が「ネルソン・マンデラ」と呼ぶのは、7歳時に小学校の担当教師が「ネルソン」という英国名を与えたからだという。南ア国民からは「マディバ」(故郷の東ケープ州の氏族名)という愛称で呼ばれている。高見氏は、南アで暮らしていて、最も思い出に残る瞬間を問われれば、この大人物を間近で見ることが出来たことに尽きると言っている。と、言っても日本の新聞記者として面会したわけではない。2009年の国民議会選挙の時、朝4時から投票所付近で待機していて実現したものである。まさに”サンダルで歩いて”得たものである。他の南アの人々とともに不思議な雰囲気を味わっている。マンデラ氏は笑顔を絶やさないまま、ゆっくりと投票を済ませた。女性は歌い、踊りだし、涙を流す人、震える人も。

46664という数字はマンデラ氏が、今は負の遺産として世界遺産になっているロベン島の収容ナンバーである。三畳にも満たない部屋ですごし、「精神の拷問」と表現される目的のない、ただ岩を砕く作業を命じられたりもした。このロベン島は、オランダ語で「アザラシ」を意味する。ペンギンやアザラシの生息地で、17世紀に流刑地となり、19世紀にはハンセン病や精神障害の患者の隔離場所としても使われた歴史をもっている。ロベン島での27年間の獄中生活後、突然ケープタウン郊外の刑務所に移送された。国際社会の非難に白人政権が追い込まれていたのである。盗聴器が仕掛けられたこの刑務所は私邸のようなつくりでプールまであった。ここにANCの要人が面会にきていたのだという。

マンデラ氏は大統領就任時、南アだけでなく、アフリカ大陸全体の発展を掲げた。1993年から始まった30万人が死亡したとされるブルンジ内戦。ミサゴさんというブルンジ人は漠然と「マンデラ氏ならブルンジを救ってくれる。」と思い南アに逃れてきた。2000年、ブルンジ内戦の調停に赴いたマンデラ氏は首都の惨状に涙した。その映像を南アで見たミサゴさんも泣いた。「内戦の悲劇を理解してもらえた。」という嬉しさからだったという。

ケニアのナイロビで、アフリカのよき指導者を育てようと2006年にNGO(IDEA)を立ち上げたコデさんは、指導者の唯一無二のモデルとマンデラ氏を讃える。空港で水を飲もうとして突然立ち上がったマンデラ氏はコップと水差しを手にしながら「のどが渇いている人は他にいないか?」と歩き出したのだ。そんな「大統領」の姿を見たことがなかったコデさんは「人種間、民族間の壁を克服し、国民統合を掲げた指導者の本物の姿を見た思いがして、やはりこうなんだなと感じた。誠実かつユーモアを自然に体現する人物だった」と振り返る。

…高尾氏のマンデラ氏を語る文章は、大きな敬愛の情で満ち溢れているのだった。

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