2014年4月13日日曜日

高尾具成氏の南ア人権・ルポ

http://fr.kichka.com/2010/04/07/
eugene-terreblanche-assassine/
南アのAWB指導者殺害事件のとき
イスラエルのイラストレーターが描いたもの
AWBのマークがナチスに似ていることを
皮肉って描いている
高尾具成氏のルポ「サンダンルで歩いたアフリカ大陸」の南ア編の最終エントリーである。

まずゼノフォビア(外国住民排斥)の動きについて。2008年5月から6月にかけて南ア全土でジンバブエやモザンビークからの移民への暴力が吹き荒れた。職のない低所得者の怒りの矛先が移民らに向けられたのである。かつて、反アパルトヘイト闘争を主張したANC(アフリカ民族会議)には、周辺国から多くの支援を受けた恩義があった、マンデラ氏もアフリカ全体の発展を掲げていた。そうした背景から移民に対して寛容な政策を取らざるをえなかったのである。サブ・サハラ=アフリカの経済の3・4割を占める南アの豊かさもその背景にあった。しかし、2008年の金融危機以降、金(ゴールド)の価格は高騰したが南アの生産量は減少の一途をたどった。生産コストの上昇が激しく、利益が十分にあがらなかったことが理由である。採掘現場が深くなり地圧や地熱対策への設備投資が膨らんだこと、アパルトヘイト後、労働者の賃金アップが迫られたこと、それに鉱山会社にも電力使用制限がかけられたことなどで、生産コストが大きく上がったのだ。

…南アの基幹産業である金が大きく減産したことは大きい。私も失敗国家・ジンバブエから多くの南アへの移民が生まれ、かなり苦労しているとの報道(もうかなり前になる。)を見て気にかけていた話である。その背景のひとつには、金の減産があったわけだ。

ジンバブエと言えば、白人農場主の国外退避について様々な本を読んだが、南アではどうだったかという話が出てくる。W杯開幕の二ヶ月前、アパルトヘイト政策撤廃に抵抗した極右指導者が殺害されるという事件が起こった。民主化から16年。被害者は、白人至上主義組織アフリカーナー抵抗運動(AWB)を指揮した人物である。1994年以降農場経営の大半を担う白人が数千人殺害されていた。AWBはそんな状況下、民主化後の黒人政権を信用せず、自警組織としての側面も兼ねながら仲間同士で武装し、農場や白人コミュニティを守ろうとしていた。今回の事件は農場での賃金支払いを巡る金銭トラブルが原因だという。葬儀の際は、アパルトヘイト時の国旗が周囲に翻り、トランスバール共和国やオレンジ自由国の旗もあったという。南アでは民主化後、人種や民族対立をあおる言動は禁止されていたがお構いなしの状況だった。初公判の際は約2000人が裁判所に集まった。警察隊は鉄条網で白人と黒人を分断した。この鉄条網を設置したのはカラードの警察官だったという。AWBが白人政権下の国歌を歌いだすと、取り巻いた黒人たちは開放歌を歌う。前のエントリーにも書いたが、この二つの歌はひとつに結ばれて今の国歌になっているのに、だ。

事件後、自首した28歳と15歳の黒人の若者に金銭トラブル以外にも性的暴行を受けていた疑いも出始めてきた。この農場で働いた黒人労働者から「食事は出たが給料はなかった。」という証言も飛び出した。給料を求めると家畜が消えたとの理由で拒否され、警備犬をけしかけられたという証言や、被害者に下腹部をけられた、彼は僕らを人間とみなしていないという証言もある。

南アでは白人農業主が7割。政府は今年(2014年)までに3割を黒人農場主にするという目標を掲げたが、実際には委譲された農地は約5%に過ぎない。民主化後、第二次・第三次産業では裕福な黒人も登場しているが、農業における黒人の不満はくすぶったままなのである。

…南アの農業がすぐに黒人農場主中心になるとは私は思わない。ジンバブエのような悲劇を繰り返すような馬鹿なことはしないだろう。ただ、この大きな不満をいかにやわらげるか、極めて難しい問題である。結局は白人側の意識の問題が大きい。殺害されたAWB幹部のような意識は論外であるが、「虹の国」をめざす南アの理想を教育によって定着させるしかないわけだ。

…私が南アとジンバブエを訪れた2004年でも、人種間のあつれきを感じる場面に何度も出来くわした。あれから10年たつ。だが、日本における人権問題の教育成果が出るのに20年から30年かかったと私は思っている。徹底した教育を受けた子供が親になるくらいの時間が必要だと思うのだ。まだまだ時間が必要なのだろう。

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