2014年4月1日火曜日

高尾具成氏のアフリカ・ルポ

先日の京大での公開講座でお話を聞かせていただいた高尾具成氏の特派員ルポ「サンダルで歩いたアフリカ大陸」(岩波書店/13年6月25日発行)を取り寄せた。講座でも特別価格で販売していたのだけれど、私が行った時には、すでに品切れになっていたのだ。アフリカと東北に優しい眼差しを向ける高尾氏のルポ。…是非読みたいと思ったのだ。

予想通り、凄いルポである。タイトルにある”サンダルで歩いた”というのは、これ以上の形容はないという感じだ。現地の様々なアフリカの人々と同じ目線で書かれていることが、たった30ページほど読んだだけでわかる。まず、序章で打ちのめされるような文章に出合った。

「私の生きてきた時代は、南アフリカで言えば、反アパルトヘイト闘争のまっただ中にあり、また民主化後のプロセスの最中であった。そして多くのアフリカの国々が独立した時代であり、その後の政治混乱や紛争という激動の過程にあった。紛れもなく同時代を歩んできたはずだったのに、結果的には遠ざけてしまっていた。「遠い」というアフリカを「遠く」してきたのは、私の無関心さであり、想像力が欠如していたからに他ならなかった。それは私に限ったことではないだろう。…(中略)…2001年9月の米同時多発テロ事件に対しては、多くの人が思いを及ぼすことができるが、その3年前の1998年8月、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの主要都市ダルエスサラーム米大使館で、ほぼ同時期に発生したテロ事件まで想起する人は稀だろう。これらの事件は、歴史の流れの中で関連性をもって進行していた。だが、アフリカの事件まであわせて考えようとした人は多数派とはなりえなかった。いずれの事件も被害者や犠牲者遺族らは、今も補償のほとんどない中で、揺れる思いを抱えながら日々を送っていた。だから、同時代を生きてきた者として、過去への無関心への自省や自戒を込めて、反芻すべきとの思いがあった。等身大のアフリカの人々を見つめ、対話を重ねながら、歴史や過去を歩みなおす作業は、現在を捉える上でも、不可欠のように感じていた。」

…そうなのだ。その通りだと私も思う。高尾氏が特派員としてアフリカにあったのは、2008年から2012年。私が最初にケニアに足跡を残したのは、2003年。それまでの私も、全くアフリカに「遠い」存在だった。無関心。想像力の欠如。まさに高尾氏の指摘する通りである。ナイロビとダルスの米大使館テロ事件については、たまたまその直後に、アメリカ・サウスダコタ州の航空博物館で、星条旗が半旗となっており、戦略空軍基地ツアーが中止になっていた故に知ったくらいだ。(10年12月2日付ブログ参照)ナイロビのJICA事務所は爆破された米大使館のそばにあり、当時まだまだテロへの警戒が解けていなかった。後に、9.11との関わりが指摘されて、意外な感じがした。まさに私のことを指摘されているようで、ドキッとしたのだ。

まだ30ページほどなのに、朱線を引いた箇所が何十箇所とある。このルポについても、少しずつエントリーしていこうと思う。

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