2014年4月29日火曜日

高尾具成氏のルワンダ・ルポ

ウムガンダの日の孤児たち 彼らには食料も支給されるとのこと
http://www.sotokoto.net/jp/daily_photo/?keyword
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高尾具成氏のルポ「サンダンルで歩いたアフリカ大陸」には、ルワンダのルポも載っていた。ルワンダについては、私は複雑な印象を持っている。最初は、あの虐殺を乗り越えたカガメ大統領の素晴らしい実績を讃えていたのだが、コンゴ民主共和国の資源を巡って、きな臭い情報も入手することになった。あの大発展はコンゴ内戦を踏み台にしたものではないのか、という疑惑が生まれたのだ。ともあれ、高尾氏のルワンダ・ルポである。

高尾氏は、南アからインターネットで入国審査番号を予約して入国している。各国のルワンダ大使館に赴く手間を省略できるらしい。さすが、IT立国として投資を呼び込んでいるルワンダだ。高尾氏らしいのは、入国後すぐに持参した携帯ラジオの周波数を合わせたことだ。もし、私がルワンダに行ったら同じコトをすると思う。ラジオこそ、あの大虐殺の震源だったからだ。軽快な音楽が流れてホッとしたとある。…高尾氏が訪れたのは2008年。大虐殺から長い時間が経過しているが、その気持ちがよくわかる気がする。

ルポには、大虐殺のあった1994年4月3日(即ち当時のフツ人系のルワンダ大統領とブルンジの大統領の登場する航空機が撃墜された4月6日以前)、「千の丘の自由ラジオ」(RTLM)が、奇妙な「政治予報」を流していることが書かれている。「5日過ぎには、キガリ(ルワンダの首都)でちょっとしたことが起きる。7日、8日からは銃声や手榴弾などが炸裂する音が聴かれることになる。」そして、大統領機撃墜の30分後には、「大統領が乗った飛行機が撃墜された。(ツチ系主体の反政府組織)愛国戦線が攻めてくる。村を封鎖して検問を実施しろ。」「愛国戦線のスパイが潜んでいる。マシェーテ(山刀)やマス(釘を埋め込んだ棍棒)を持って立ち向かうんだ。」やがて、ツチ系住民に対するヘイトスピーチは「イニエンジィ」(ゴキブリ)とたとえるまでに激化、大虐殺が始まったという。

多くの山々に囲まれ、「千の丘の国」と形容されるルワンダは、日本の四国の約1.4倍ほどの面積で、キブ湖など7つの湖と5つの火山、ナイルの水源ニヤパロンゴ川を有する。豊富な降水量に恵まれ、良質なコーヒー、紅茶の産地としても世界的な評価が高まっている。アフリカのシンガポールを目指すルワンダは、フランス語圏ながら、英米独の支援を受けて経済成長を果たし、2008年英語を公用語として採用、さらに2009年、英連邦に加盟した。

毎月末の土曜日の午前、ルワンダ全土では車が路上から姿を消す。「ウムガンダ」と呼ばれる政府主導の清掃などの奉仕活動が実施されるためだった。カガメ大統領も掃除をする。大虐殺直後、街は遺体であふれた。野良犬がうろつき、異様な数の鳥が空を覆った。「虐殺の記憶を清算すると同時に決して忘れないとのメッセージが奉仕活動に込められているんだよ。」キガリの石畳の道を丹念に掃除していたボナバンチュール・ムバウェヨさん(30)のコトバだ。

「即」「15分」「30分」政府の許認可申請書類には役人が順守すべき「対応スピード」が記されている。営業免許や会社登録などは無料。官僚主義がはびこるアフリカでは異例の施策だった。外務協力省幹部は「知恵をしぼり、再建を模索してきた。それを農業で培われた勤勉な国民性が支えている。」と胸をはった。ウムガンダの日、キガリ郊外では植林活動も実施されていた。カラリサさん(40)は、軽やかに語る。「この国には、規律という美徳があります。大虐殺ではそれが間違った方向に働いたのです。」

…このルポを読んで、ルワンダが、アフリカの「シンガポール」を目指している姿が鮮明になるのは私だけではあるまい。と、同時に、最後のカラリサさんの言葉に、もう一つのある国の過去を思い起こさせるのも…。

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