2011年10月31日月曜日

五木寛之「百寺巡礼」インド編

五木寛之は、私個人としてはなじみの薄い作家だ。「青年は荒野をめざす」も読んでいない。ヒト世代ずれているのだ。ところが、彼の海外版「百寺巡礼」インド1・2を続けて読んだ。書店で、ブータン編があったので、まずそれを手に取ったのだが、まずインド編を読むのが筋かと思ったのだった。

ちょうど、世界史はインドの古代文明に突入している。今日は、ヴァルナ(いわゆる4つのの階層の身分差別)とジャーティ(職業による差別)の話から、アウト=カーストの不可触民の話をしていた。五木寛之の読んだ本のなかにも不可触民の話が出てくる。インド憲法を起草したアンベートカル博士は、アウト=カーストの出身である。政府の中枢にいながら部下に水も汲んでもらえないという差別と闘った人である。

この不可触民という奇妙な日本語訳は、インドにおける「穢れ」に対する忌避概念の強さを見事に表している。生徒は、この忌避概念を奇妙なものだと理解したようだ。授業では、「我は梵なり」「汝はそれなり」という梵我一如のウパニシャッド哲学を講じたところで今日は終わった。次回は、輪廻と業(カルマ)の思想を教えることで、こういう差別の根源を説明する予定だ。

ところで、今回読んだ「百寺巡礼」インド1・2は、ブッダの最後、クシナガラへの伝道の道をたどる旅である。いつも、ウパニシャッド哲学を講じたうえで、ブッダの一生を語ることにしている。「四門出遊」の逸話も交えての、仏教講話になる。五木寛之は、この本の中で、日本における仏教学の大家・中村元先生の『ブッダ最後の旅』を度々引用している。「大パリニッパーナ経」のパーリ語文書を訳したものである。(サンスクリット語が上の階層のものだったのに対し、パーリ語は庶民の言語だったらしい。ブッダはパーり語で説法していたと伝えられている。)ブッダの最後は、農民の供養した食物の中に毒キノコが入っていて食中毒で亡くなったといつも教えているのだが、中村先生の訳では明確ではないそうだ。それどころか、供養したのは農民ではなく、有力な鍛冶屋だったらしい。さっそくプリントを書きかえるはめになった。(笑)

仏教は、実は私の専門であるのだが、長いこと勉強を怠ってきた。たいがいの仏教本を読んでも既に知っていることが多いので読まなくなったのだった。まさに灯台もと暗しである。そういう反省を込めて読んだ2冊の文庫本だった。

2 件のコメント:

  1. 五木さんの本は結構好で読んでいます
    古寺巡礼も数冊読みましたが、インド編は気になりつつもまだ手にしていません。
    中村元氏の本とともに、読んでみたいですね。

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  2. 非常勤講師さん、コメントありがとうございます。ブータン編も買ってありますが、そのうち読もうと思っています。また新しい本も買ってあるので…。成毛さん風同時読みですね。(笑)

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