2011年10月7日金曜日

リベリア大統領にノーベル平和賞

サーリーフ大統領とクリントン国務長官(国旗も似ている)
リベリアの女性大統領で、内戦を乗り越え、同国を立て直したサーリーフ大統領にノーベル平和賞が贈られることになった。なかなかいい人選である。彼女が大統領になるまで、まさにリベリアは少年兵の悲劇で有名な国になってしまっていた。アフリカの開発経済学の統計資料は、まだ古いものもあって、2000年くらいのものもある。その頃の資料にはリベリアのものはない。統計どころではなかったのだ。そんなリベリアに2005年から大統領として頑張ってきているサーリーフ女史には、先日逝去したマータイさんのような聡明で強いアフリカ女性の理想を見ることができる。

ところで、リベリアはサブ・サハラ=アフリカでも特異な存在である。そもそも、アメリカが黒人奴隷解放とリンクして建国した国で、先住の民族がいるところへ奴隷だったコンゴ系の黒人を送り込んだのだ。彼らアメリゴ・ライベリアンは、アメリカのバックアップを受け、先住の民族を差別しつつ支配してきたのだ。首都名のモンロビアも合衆国第五代大統領の名をとっており、まさに孤立主義的に独立(単に植民地というカテゴリーに語彙的に入らなかったといえる。)していたし、リバティ(自由)という国名の由来そのものも偽善に満ちていた国なのだ。リベリアと言えば、便宜置籍船国で有名(パナマに次ぐ)だが、第二次世界大戦の時、アメリカがイギリスに兵站輸送するために、同型の輸送船を大量生産し、戦後、処置に困ったアメリカがリベリアにお古として与えたところに由来する。まあ、実質的にアメリカの植民地というか、属国というか…。要するにアメリカの影が消えないのである。(個人的に私はアメリカは好きだが、客観的に見るとそうなる。)

特に、このアメリゴ・ライベリアンと先住民族との争いも第一次内乱に大きな影響を与えたし、シエラレオネとの国境沿いのダイヤモンド争奪という天然資源の罠、紛争の罠、そして悪しきガバナンスの罠に見事にはまった国だったのだ。

しかし、サーリーフ女史が大統領になってからは見事に復活した。彼女の良きガバナンスによって立ち直ったのだ。この業績は十分ノーベル平和賞に値すると私は思う。

リベリアに関する資料:

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