2026年2月14日土曜日

久々に沢木耕太郎を読む。

学院の卒業式の日。少し早めに着いて、全員が入場する際に顔を出すことが出来た。みんないい顔で卒業式に臨んでいた。この1年の授業でのことが走馬灯のように浮かんでくる。カトリックの学校なので、マタイの福音書に始まる非常に特徴的な卒業式のことは、昨年記したので、本日は、登下校時に読み始めた沢木耕太郎の久々のノンフィクションについて、少しだけ記しておこうと思う。

『天路の旅人』(新潮文庫上・下)という作品だ。好きな作家を問われたら、私は常に沢木耕太郎の名を挙げる。『深夜特急』を始め、『バーボンストリート』など多くのノンフィクションを手掛けてきた沢木の文章は、驚くほど読みやすいし、引き込まれる。今回も登下校時の2時間ほどで、一気に86ページを読んでしまった。むちゃくちゃ面白い。書評らしきことを書くべきか否か悩むところであるが、いずれ…。

2026年2月13日金曜日

キケの来年度契約が決まった

https://cocokara-next.com/athlete_celeb/bluejays-vs-dodgers-20251101-32/
キケ・ヘルナンデス選手が、来年度もドジャーズで三連覇を目指すことが確定した。大丈夫だと信じていたがやはり嬉しい。ポストシーズンでの活躍は凄かった。ロスは、ヒスパニックの人口も多いので、プエル・ト・リコ出身でスペイン語を話すキケの人気は高い。我々日本のファンにとっても、彼の個性も人柄も実に魅力的だ。同じベテランのマンシー選手の再契約も実に嬉しい。カブスから、FAの目玉と言われたタッカー選手がドジャーズに加入したことより私は嬉しい。(笑)外野の補強には、ヌートバーに来てほしかったのだが…。

一方で、バンダ投手が放出されたようだ。大谷選手に背番号17を譲った、ポケモン大好きなブルペン投手である。花の色はうつりにけるないたずらに…。MLBビジネスの世界は、非情に流れていく。

正教会と数理神学3

https://www.youtube.com/watch?v=GCACD4tmYlU
『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)の備忘録的エントリー第3回目。前述の命題1・命題2をもとに、著者は正教会の教義と照らし合わせていく。

神は現実的無限、無限集合である。したがって、神の本質も神の実存(=キリスト)も神の活動(エネルゲイア)も無限集合であらねばならない。神を集合論的に区別すると、Aと述語づけられるキリスト、Bと述語づけられる聖霊と、Aでなく、かつBでもない神自身に区別される。神の本質という無限集合が3つの部分集合に分割されていると考えられる。したがって、「無限においては、部分と全体が等しい。」あるいは、「無限集合は、自らに等しい部分集合を持つ。」という第一命題(=三一論)が帰結される。

神の本質と活動の関係において第二命題「無限においては、部分の総和が全体を超える。」が適用できる。神の本質は、自己の活動(自己自身)をも超越するという命題が帰結され、人が神になること(パラミズム:14世紀の聖グレゴリオス・パラマスによる、神の本質を直接知ることは出来ないが、聖霊/エネルゲイアによって神と交わり一致することができるという教義)が証明可能である。

著者はここで、「およそ全ての宗教は、神あるいは仏の多一性や自己超越性を言明する教理を保持している。集合論が明らかにしたことは、むしろそれぞれの宗教の地域的、歴史的な言語表現の差異の深層に隠された、その構造の同型性、共通性である。集合論は、宗教の命題を数学の言語で表現することによって、それぞれの宗教に共通する普遍的な構造を暴き出すのである。」と記している。

…この数理神学から導かれた「宗教に共通する普遍的な構造」については、実に興味深い主張である。以後、比較宗教学的に、詳しく検討したいところだ。

この後、著者は集合論が、それ自体証明されない公理系を前提に成立していることを明かす。公理系は証明不可能であるから、合理的議論の対象ではなく、自由な選択の対象である。信仰の自由とは、個々の宗教を命題を選択する自由ではなく、その公理系自体を選択する自由である、としている。公理系の内容は、大学数学の範囲(画像参照)で、私の理解力をはるかに超えているので割愛したい。

…これで、3冊の書評を終えた。正教会の特徴はおよそ、神と、人となったイエス・キリスト、神より与えられる聖霊の至聖三者(=三一論:カトリックの場合は聖霊がキリストからも発せられるので、はっきりと相違がある。)がそれぞれ位格をもっており、特に聖霊は神のエネルゲイアが、信仰者に神との交わり・一致(”神になる”と表現されるが、神の本質には至らない。)という東方ゆえの特徴(仏教等の影響)をもっている。また、イエス・キリストの位格は、ロゴスであり、冒頭でロゴスについて語られるヨハネの福音書の影響が強く見られる。カトリックでは、クリスマスのミサにヨハネの福音書の冒頭を朗読するが、正教会では復活祭のミサで朗読される。このことは、クリスマスより重要な復活祭で朗読する正教会のほうが、ヨハネの福音書を重視しているという証に他ならない。(学院は、カトリックの学校で宗教という教科もあるので、この辺は公立の高校より理解度がそもそも高い。)

…今年度の地理の授業で、1学期後半に比較宗教学的な一神教の対比(ユダヤ教・イスラム教・キリスト教のカトリック・正教会・ルター派・カルバン派・英国国教会のハイチャーチとローチャーチ)を行ったが、来年度はさらに深く理解した立場から論じることができそうである。ただし、大学の数学まで登場する集合論(数理神学)まで話すことはないだろうと思う。(笑)

2026年2月12日木曜日

正教会と数理神学2

https://www.youtube.com/watch?v=2sobnkyibok
『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)の備忘録的エントリー第2回目。カントールの集合論の続きになる。彼は、集合論が神が無限性の弁明になることを明晰に意識していたことは極めて重要である。

ここで、数の分類の確認をしておきたい。整数:-2、0,1.2など。自然数:1.2.3など正の整数。有理数:2つの整数abを使って、a/b(b≠0)で表せる数。実数:有理数と無理数を合わせたもの。

ところで、平方根√2や円周率πなどの無理数について、彼は数列の極限として捉えた。円周率を例に取ると、π=3・π1=3.1・π2=3.14・π3=3.141…極限にいたる数列は、無限個の自然数を1つに括った全体、すなわち自然数の無限集合に他ならならず、自然数全体と同様の現実的無限であるとした。このアリストテレスの禁忌(前述の「現実的無限については、思考することを禁止する。」)を乗り越えることで、近代科学の基礎を築いたのである。

彼の証明した第一の命題は「無限においては、部分と全体が等しい。」さらに、数直線上にある、すなわち実数全体という無限集合は、一次元の直線、二次元の平面、3次元の空間、さらにn次元のユークリッド空間におきても無限集合と等しいことを証明した。直線上の0から1までの区間の実数の数がこの全宇宙さらには4次元時空連続体に存在する実数の数と等しいというのである。この証明を成し遂げたことを伝える手紙の中で「私は見た。しかし信じられない。」と書いている。

…完全文系の私としては、このあたりでかなりギブアップ気味である。(笑)ただ、この「無限においては、部分と全体が等しい。」という命題は、神と人間の関係、特に人が神となる、という事に大きく関わってくるのではないか、という嗅覚が働いた次第。

次に彼が証明した第二命題は「無限においては、部分の総和が全体を超える。」なのだが、この命題については、さらに解説が難解すぎるので、忌避させていただく。(笑)…つづく。

2026年2月11日水曜日

正教会と数理神学1

https://note.com/koritakada/n/n28aca641d08d
『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)の備忘録的エントリー第1回目。まずは、本書の前提の確認。正教会では、三一論(=至聖三者:カトリックの三位一体とは聖霊の捉え方が異なる)で、神の無限(神性は無限で把握しえないものであり、把握しうるのはその無限性と把握不能性のみである。:ダマスカスのヨアンネスの定義)を説いている。さらに、有限な人間が神になること(厳密に言えば、聖霊:神のエネルギアによってペルソナ化)が可能であると説くわけであるが、これを数理神学の立場から証明しようとするのが本書である。これは同時に、仏教を始めとする多神教と一神教の誇張された対比を否定する方向に向かう。著者の所属する同志社大学の小原学長の本書の書評が端的に示してくれている。https://www.kohara.ac/research/2002/03/review200203.html

次に、数理神学の前提。ギリシアでは、無限のパラドクスに早くから気づいていた。自然数全体の数と偶数全体の数はどちらが多いのか。直感的には自然数全体であるが、どちらも無限故に等しい。アリストテレスは、この常に後続が存在する未完結の無限を「可能的無限」、完結し実現した無限を「現実的無限」と呼んだ。彼は、現実的無限については、思考することを禁止した。この呪縛が解かれるのは19世紀末である。(ただし、4世紀のギリシア正教の教父は神を、可能的無限ではなく、現実的無限であると宣言した。)

この呪縛を説いたのが、ゲオルグ・カンタール(画像参照)。自然数全体や実数全体など集合全体を1つの対象として扱い、無限集合の存在を明らかにしたのである。…本日はここまで。

2026年2月10日火曜日

総選挙の分析・総括のYouTube

https://www.youtube.com/@thesenkyo
今回の総選挙の余韻が、かなり残っている。歴史的な結果がそうさせているわけだが、様々な分析・総括のYouTubeを見ていると、なかなか興味深い。

まずは、中道革新連合の大敗について。元公明の組織票は元立民にどう影響したかという分析。言い当てて妙だと思ったのは、各選挙区の上記組織票・1~2万票は、野球で言うとスクイズのような存在。3塁に走者がいれば得点(当選)できるが、今回の立民の候補は3塁まで行っていなかったので死票化した、というもの。何故3塁まで進塁できなかったのか?立民は、「メルトダウン」してしまっていた。批判ばかりで、他の少数野党のように建設的な批判・アプローチに欠けており、野党第一党の役割を果たしていなかったし、急な新党結成で、従来の支援者も離れていく結果となったという分析があった。なるほどと思う。

私が、なにより大きいと思うのは、国民の嫌中意識である。立民の岡田氏の執拗な批判が、首相の例の台湾問題の発言を引き出した。これに中国が例によって様々な脅しをかけてきた。まさに岡田氏=立民はヒール的存在となったことが大きい。その後の首相の見事なまでの対応が国民の支持をかなり拡大した。中道革新連合を「中国協賛党」と揶揄する見方が生まれ、アメリカ(=自民)VS中国(=中道)という構図となったのも大きいのではないかと私は思う。中国は、今回の総選挙結果について、恫喝的な反応を見せている。全く懲りていない。

2026年2月9日月曜日

憲法改正が現実味を帯びてきた

https://www.honda.co.jp/magazine/article/202412vol01/
今回の解散総選挙で、与党が316+36で、352議席となった。これは、憲法改正の発議に必要な衆議院の総議員の3分の2(310議席)を超えたことになる。発議には参議院も同じく総議員の3分の2が必要(166議席)なので、現状118+18で136。50議席も足りない。改憲に賛成の党もあるので調整すればさらに増えるだろうが、今のところ「憲法改正が現実味を帯びてきた」としか言えないだろう。憲法改正は、自民党の党是である。首相が「国論を二分する論議」と言っていたのは、第9条改正とスパイ防止法くらいしか思いつかない。

第9条を現状に合わせて、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使はと国際紛争を解決する手段として、永久にこれを放棄する」を、国際的に認められている(=国連憲章51条)の「個別的自衛権」「集団的自衛権」(緊急性と必要最小限度という条件あり)に合わせる改正案が見えてくる。国連憲章代7条の国連軍ならびにPKOについても付加するかもしれない。第2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」に関しては、陸上・海上・航空の自衛隊(本日の画像は空自のブルーインパルス風のバイク隊:実に平和日本の自衛隊である。)を前項の目的を達するため保持するとするのが妥当だといえる。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。」という条文は、アメリカがこの憲法を作成したのがバレバレの条文である。”その他の戦力”は、言うまでもなく海兵隊を意味しているからである。戦力を保持しないと言わせておきながら、朝鮮戦争や冷戦を巡って、アメリカの影響下で、警察予備隊、保安隊、自衛隊と改組してきた歴史があり、条文と現状が一致しないのは、小中学生が読んでも明らかである。これも妥当。

これらの国際法上の戦争規定と自衛隊の存在の明記は、国民の普通の感覚のように思われる。これでも反対するような左翼的な政党はすでに少数派になっている。さてさて…。

2026年2月8日日曜日

オーソドックスの教材研究Ⅶ

いよいよ、正教会の教材研究も三冊目になる。ここまで、スラブ西洋史学・宗教史学的な『東方キリスト教の世界』、イギリスの正教会司祭による説教的に7つの神を説いた『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』を読んできて、なぜ佐藤優氏が正教会の教義を学ぶ必要性を同志社の神学生に説いたのか、また正教会においてヨハネの福音書が重視される理由についても、十分理解できたつもりである。だが、三冊目の『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)は、少し違った視点(数理神学)で正教会のテーゼを描き出しているので、興味深い。

およそ前2冊とかぶる部分は割愛しながら、エントリーしていこうと思う。数理神学といっても、私は完全文系人間で、数学は大の苦手なのだが、「集合論」をもとに進めているようなので、できるだけ平易に、私の理解しうる範囲で、備忘録を記していきたいと思っている。

2026年2月7日土曜日

正教会:永遠としての神

カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、最終回の今回はエピローグとしての「永遠としての神」について。箴言は、「話すことは今のこの世での道具である。沈黙は来たるべき世の奥義である。」(シリヤの聖イサアク)

「我望む。死者の復活、ならびに来世の生命を。」正教会のミサで唱えられる『信経』(381年の二ケア・コンスタンチノポリス信経:12の条項の短文からなる。)は、来たるべき時に思いを馳せて、期待の言葉で結ばれている。とはいえ、ヨハネの福音書(3-2)には「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかしえあたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。」とある。ただ、聖書と聖伝は、繰り返し再臨を告げている。しかし、(当然ながら神の意思で定められる故に)その時期は知らされていない。

ハリトリスの再臨の時は魂も肉体も蘇る。魂と肉体は、もう一度結びつき1人の復活した人格として最後の審判を受けるために主の御前に進み出る。私たちの選択の行為のすべてが、目の前に示される時である。審判者は当然ハリトリスであるが、別の見方をすると、裁くのは私たち自身である。地獄にいる人は、自己定罪、自己呪縛する人であるので、「地獄の扉は内側から錠がおろされている。」というのは全く正しい。

復活の王国は、終わりのない国である。黙示録に「勝利を得る者には、隠されているマナ(出エジプト記で、イスラエルの民が荒野にある時、天から降ってきた黄色く蜜を入れた煎餅のような食べ物/上記AIの画像参照)を与えよう。また白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほか誰も知らない新しい名が書いてある。」とあり、それぞれの人は明確にその人自身であり、個性も保たれるが浄化され、一新され、輝かしいものになる。ヨハネの福音書(14-2)「主イイススはその憐れみにより、それぞれの人にその人の働きに応じて安らぎを与えられる。偉大な者にはその偉大さに応じて、また小さい者には小さい者にふさわしいように。」とある通りである。

永遠とは絶え間ない前進であり、果てしない成長であると、本書は結ばれている。

2026年2月6日金曜日

正教会:祈りとしての神

カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、今回は「祈りとしての神」について。今回の箴言は、「正教の精神は祈りの賜物にある。」(パシレイオス・ロザノフ)という短いが、意味深長なもの。

著者は、主教として、教会・機密(=秘跡:サクラメント)・聖書を、正教会の信仰に不可欠な条件としている。この中で、西方で展開されてきた聖書の批判的研究について、学問的研究(聖書学や歴史神学など)は疑いなく存在し、十把一絡げに拒否するべきではないが、正教徒として、その全てを受け入れることは出来ない。聖書は、孤立した個人として読んではならないし、起源や様式史また編集史についての最新の諸理論に照らして読んではならない。教会の精神(教会のメンバーとして交わりの中で読む)を最終的基準とし、教父や聖人たちによってどのように理解されてきたのかということを意識し続けるべきである。聖書を読むことは祈りへと続く道である、としている。

さらに3つの段階について述べられている。修徳的生活(徳の実践)、自然の観想、神の観想である。ここでは、自然の観想における神学的な話を期しておこう。すべての事象には神の造られざるエネルギアが浸透し、その存在が保持されていて、全ての事象は神の存在を仲立ちとして人に伝える「神現」(テオファニィ)となっている。それぞれ事物の中心には、神のロゴスによって刻み込まれた内的な原理すなわちロゴスがある。このロゴスとの交わり(神のエネルギーとロゴスを見出す)に入ることが重要である。

正教会の伝統を伝える霊的な師父は、神の観想の段階では、否定主義的な祈りを実践する。雑念を払い、「イイススの祈り」(主イイスス・ハリトリス神の子や我罪人を憐れみたまえ)を繰り返す。そうして、ペルソナ的一致に向かう。ハリトリスに似る者になったとしても、ペテロはペテロ、パウロはパウロ、フィリピはフィリピで、それぞれの者がそれぞれの本性とペルソナ的自己同一性を保つ。聖人たちが神化するのは、神のエネルギアによるものである。

出エジプト記(20/21)に、モーセがシナイ山頂の「神のいる濃い闇」の中に入ったという描写がある。神が闇であるとは言われていない。ヨハネの福音書(1-5)「神は光であって、神にには少しの暗いところもない。」タボル山でのハリトリスの変容も光で示された。東西を問わず、聖人たちは身体の栄化の例が多い。モーセはシナイ山から降りてきた時、顔が光り輝き、誰もまともに見ることが出来なかったので顔にベールをかけたとされる。(上記画像は、適当な画像が見つからなかったので、AIで作成したもの)

…正教会における神化は、朱子学の理気二元論と共通点がありそうである。もちろん、理とロゴスと同じものとは考えにくいが…。だんだんと正教会がヨハネの福音書を重視していることがわかってきたのであった。また「イイススの祈り」を繰り返す祈りは、仏教の題目やイスラムの信仰告白との共通点を感じるのであった。このあたりは、やはり「東方」を感じるのである。

2026年2月5日木曜日

正教会:聖霊としての神

https://avantdoublier.blogspot.com/2013/08/blog-post_16.html
カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、今回は「聖霊としての神」についてである。今回の箴言は、サーロフの聖セラフィムによるもの。「聖霊が人に降り、そこから溢れ出るものの充満で彼を覆い尽くすなら、彼の魂は言い表しがたい喜びでいっぱいになります。聖霊が触れるものは何であれ喜びに変えられるからです。天国は聖霊における平安と喜びです。内なる平安を求めなさい。そうすればあなたをとりまく何千人もの人々が救いを見つけるでしょう。」

ローマのカタコンベ(地下墓地)には、天を見上げ、両手を広げ、手のひらは上を向ける「オランス」という姿勢をとる婦人の姿が壁画に描かれている。この姿(画像参照:注/これはローマのものではない)は、聖霊を呼び求め、待ち受ける嘆願(エピクレシス)の姿である。

聖霊は、ギリシア語ではブネウマ(風ないし息)と呼ぶ。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。」(ヨハネの福音書3-8)その理解し難さにもかかわらず、正教会の伝統では、第1に位格(ペルソナ)であること。第2に、他の2つの位格と同等であることが重要である。聖霊はマリアに降り神のロゴスを宿した。ハリトリスを世に送ったのは聖霊であるし、イイススがヨハネの洗礼を受けた時、聖霊は彼の頭の上に鳩のカタチで降った。イイススを伝道に派遣したのも聖霊である。超有名な一節「主の聖霊が私に宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、私を聖別してくださった方である。」(ルカの福音書4-18)とあるように。

さらに復活後は、ハリトリス(すでに受肉していたイエスは死に、神と一体化していた故に)が聖霊を送り出す。(正教会では、カトリックと違い、イエスから聖霊が発するとはしない。)この聖霊降臨は、受肉の目的と成就を形成する。「ロゴスは身をとった。それは私たちが聖霊を受け取れるようになるためである。」(ウラジミール・ロースキー)また、最後の晩餐で、「真理の聖霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分について語るのではない⋯聖霊はわたしのものを受けて、それをあなた方に伝える」(ヨハネの福音書16-13/14)これも復活後のハリトリスを示している。

聖霊は、個人を人格(ペルソナ)へと作り変える。正教会の伝統では、信者の共同体への直接的働きかけがひときわ明らかにされており、ギリシア語でゲロン、ロシア語でスターレツと呼ばれる長老もしくは霊的父がいる。冒頭の箴言に登場したサーロフの聖セラフィムのような人々である。

https://one-piece.com/char
acter/S-Snake/index.html
⋯異教徒にとって、至聖三者の中でも聖霊が最も難解である。倫理の授業での聖霊の説明は、使徒言行録19にあるパウロの洗礼をうけた人々が異言(異国語)を発したことくらいである。今回の備忘録では、少しばかり深まった気がするが、どうもわかりにくい。ちなみに、聖セラフィムの名が出てきたが、このセラフィムは最上位に位置する熾天使(してんし:6枚の羽をもち、神への愛で燃えている)である。セラフィムと聞いて、何と言っても想起するのは、ONE PIECEの人間兵器・セラフィム。王下七武海とルナーリア族の血統を受け継ぎ背中に火がついている。(右の画像はSスネーク)⋯なるほどと、膝を打った。

2026年2月4日水曜日

正教会:人としての神

https://christian-unabridged-dict.hatenablog.com/entry/2018/02/15/134759
カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、今回は「人としての神」についてである。今回の箴言。「イイスス(=イエス)を渇き求めなさい。彼はあなたをその愛で満たしてくれよう。」(シリアの聖イサアク)

イイススとは、「救う者」という意味である。天使がハリトリス(=キリスト)の養父ヨセフに言った「その名をイイススと名付けなさい。彼は己の民をその諸々の罪から救う者となるからである。」(マタイの福音書1-21)さらに、ハリトリスという称号は、「膏(あぶら)つけられた者」を意味するメシアというヘブライ語のギリシア語での同意語である。「膏つけられた」とはすなわち「聖霊によって」ということで、旧約時代のユダヤ民族にとって、メシアは聖霊の力を受けてユダヤ民族を解放する未来の王を意味した。

イイススは、「シアントゥロポス」(神・人)である。実に神であり同時に人であるがゆえに私たちを罪から救う。人は神の元へ行けなかった。だから神ご自身が人となることで、人の元へ来た。脱自的な愛の内で、自分が創造したものになった。神は人として、人が堕罪によって拒絶した神と被造物との仲立ちという仕事を成し遂げた。藉身(:せきしん=受肉/神が人なること)は、人を解放する至高のみわざである。藉身した神・ハリトリスは神の本性と人の本性があるが、人となった永久のロゴスとしての位格があるのみである。福音書が伝えるハリトリスのわざと受難の全ては一つの同じ位格的主体、時と場所の内に人として生まれた永遠の神の子に帰せられる。

ハリトリスは父にこう言った。「私は、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。これは、私たちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。」(ヨハネの福音書17-22/23)彼は、結び目であり合流点である。神の藉身は人に神化への道を開いた。神化とはハリストス化されること、私たちが獲得するよう呼びかけられている「神の似姿」である。

ハリトリスは処女から生まれたことは、通常では新しい人格が存在することに対する否定である。藉身したハリトリスの位格はロゴスの位格であるからだ。正教会では、この「福(さいか)なる童貞女」をハリトリスの母として深く崇敬する一方、(カトリックの教義である)無原罪の懐胎の教理を不要・過剰(前述のアウグスティヌス主義批判の立場)とする。正教会では、マリアと洗礼者ヨハネとともに、旧約時代の聖性の極致・頂点と見ている。(要するに、マリアにも原罪はあるが、洗礼者ヨハネとともに最高の聖性をもっているということである。)

十字架上で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マタイの福音書27-46:これはヘブライ語の旧約の詩篇22で、全文を見れば神への讃歌であるという説もある/画像参照)と叫んだことについて、どれほど重視しても重視しすぎることはない。主は私たちのために血を流すばかりか、私たちのために神を見失うことさえ受け入れた、あらゆる人間の苦悩と疎外に同一化し、自身で担うことによって癒やした、これ以外に癒やす方法がなかったのである。これが十字架のメッセージである。

ハリトリスの復活は、私たちを不安と恐怖から解き放った。十字架の勝利は確証され、愛は憎しみより強いことをはっきり示された。この世界に存在するいかなる闇も悪の力をも恐れる必要はない。正教会はこの意味を極限において理解する。正教会が、エキュメニカルな(教派を超え教会の再一致を模索する)対話に関わる時、この真正な復活を信じるか否かをまず問う。

⋯そもそも藉身(=受肉)や、十字架での疎外の言葉や、この復活の深い意味は、異教徒にとってはなかなか理解しがたいものである。とはいえ、今回も比較宗教学の立場では、正教会のスタンスがよくわかる実に興味深い内容であった。

2026年2月3日火曜日

正教会:創造主としての神

https://www.etsy.com/jp/listing/1500504911/
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カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、続いて「創造主としての神」についてである。今回も箴言を挙げておく。「あなたはあなたの中に小さなもう一つの世界があることを知りなさい。あなたの中に太陽があり、月があり、そしてまた星々もあるのだ。」(オリゲネス)

「爾(なんじ)は我らを無より有となし」と『聖イオアンネス・クリュソストモスの聖体礼讃』は讃える。この「無より」という言葉が意味するのは最初に、そして何より重要なこととして、神が全世界を自由意志によるみわざで創ったことを指す。神は誰からも強制されず、神自身が創造を選んだ。何の意図も必然性もなく世界が創造されたわけではなく、また自動的に溢れ出したわけでもない。神の選択の結果である。何故神は創造を選んだか。その動機は愛である、と著者は記している。

世界は、必然的でも自己充足的でもなく、自らをあらしめた神に依存しつつ、神に向けて成就可能なものとして開かれている。被造物である人間は決して自分たちだけでは存在できない。神が我々の存在の核心であり、神の愛の意思に依存している。そして、神は現在進行形で創造し続けている。創造の教義の目的は、時系列の中にある一点(創世記)に、この世界の起点となすことではない。

また、神は創世記において、世界創造の後「はなはだ良かった」と言っている。よって、創造されたものはその内なる本質において、はなはだ良きものである。二元論を否定するキリスト教において、「はなはだ悪しきもの」はあり得ない。

正教会の世界観では、神は被造物のために、「ノエティック」(霊的・知性的な領域)と物質的ないし肉体的という2つの領域を与えた。ノエティックだけ(物質的な身体を持たない)の被造物は天使である。物質的な領域のみは。星雲、様々な鉱物で構成される星々や天体、さらに植物や動物などの生命である。人間だけが、この2つの領域を共に得ている。ユダヤ教のタルムードには、「義人は救いの天使より偉大だ」と描かれているのはそのためで、人間は神の創造の中心にあるといえる。

この後、人間の堕落について述べられる。正教の伝統では、アダムの原罪について、アウグスティヌスの考え方(人類全体に影響が及び、罪責を受け継いでいる)を受け入れがたいとし、原罪の教理は、「人は悪を犯しやすく、善は行いにくいという環境の中に生まれてくる」こととだとしている。

…今回も、重要な正教会の教義が示されていた。神の自由意志による創造、神の創造は現在進行形であること、天使(本日の画像は正教会の七大天使のイコン)と人間の関係性、そして原罪思想の捉え方…。

2026年2月2日月曜日

正教会:至聖三者としての神

https://novel-shoten.com/life/archives/5104
カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、続いて「至聖三者としての神」についてである。正教会の聖三者は、カトリックやプロテスタントで言う三位一体である。まず、前回同様に、箴言から。「我が憑恃(たのみ)は父、我が避所(かくれが)は子、我が帲幪(おおい)は聖神(聖霊)なり 聖三者よ、光栄は爾(なんじ)に帰す。」(聖イオアニコスの祈り)

著者は、ユダヤ教やイスラム教のように単に唯一の神を信じるほうが容易であるとし、聖三者の教義は文字どおりの難問で「人間的思考の十字架」(ウラジミール・ロースキーの言)であり、精神と心の真の徹底的な方向転換(メタノイア)を求めるものだとしている。

「私と父は一つである。」(ヨハネの福音書10-30)とハリトリス(=イエス)は言った。この意味は、ニケア公会議(325年)とコンスタンチノープル公会議(381年)で確認されたイエスは、真の神よりの真の神、神・父と一体(同一本質)であること、言い換えれば父と同等である、ということである。父と子は2つの神ではなく単一の神である。4世紀末に父と子と共に「聖霊」が同様に言明された。なお、聖三者は本質において1つだが、それぞれに位格、自己意識を持つ区別された主体である。

第一の位格は、神・父。「泉」であり、他の2つの位格の源泉、起因ないし起源であり、聖三者の間に一致をもたらす接合点(きずな)である。第二の神の子の位格は、神の「言葉」ないし「ロゴス」である。この神の言葉・ロゴスは、受肉以前から働いており、全てを貫いている秩序の原理であり目的である。創造者ロゴス(Logos)は、被造物1つひとつにそれ自身に内在するロゴス (logos)ないし、内的原理を分かち与え続けている。第三の位格は、聖霊である。神の風や息である。(言葉でそつなく整理してしまうのは不適切と心得た上で言えば)聖霊は「内なる神」、子は私たちと「共にある神」、父は私たちの「上にある神」・私たちを「超えている神」である。(聖霊は、父のみから送られることを確認したうえで/カトリックの教義では、子からも送られることに成っている。)この聖三者の位格は常に共に働き、聖エイレナイオスは、子と聖霊を父の「両手」と呼ぶ。

…正教会におけるヨハネの福音書の重要性が、だんだんと見えてきたのであった。ここで確認。ヨハネの福音書冒頭の「はじめにロゴスありき」のギリシア語は、”エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス”で直訳すると「アルケーはロゴスなり」となる。アルケーは、(イオニアの自然哲学と同じで)万物の始源・宇宙の根本原理。ロゴスは、真実・真理・論理・理性・概念・調和・統一のある法則、そして言葉の意味もある。よって、「根本原理はキリスト(神の言葉)である。」=神こそが全ての原則、ということになるのである。日本では、「はじめに言葉ありき」という誤訳が一般的になってしまった。実は、この一節を使って、M高校のパンフレットをつくった経緯がある。国語科と英語科をつなぐキャッチコピーとして有効ではあったのだが…。(2010年6月30日付ブログ参照)

2026年2月1日日曜日

正教会:神秘としての神

https://www.nikkei.com/article/DGX
ZQOUD302VD0Q5A131C2000000/
カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』書評。前述(1月29日付ブログ参照)のように、まずは、「神秘としての神」の備忘録的エントリーである。本書には、著者の選んだ関連する箴言も多く記されている。この章にも、いくつか記されていたが、冒頭の「理性では神は把握できない。もし把握できたら、それはもはや神ではない。」(ポントスのエヴァグリオス)を記しておきたい。

正教徒の神学は、多くの面で象徴的(直接的な言明ではなく絵やイメージを通して神に触れる)である。だが、象徴性は神の超越性や「他者性」を伝えるには不十分である。「戦慄(畏れと驚異の感覚:ヌミノーゼ)すべき神秘」を指し示すためには、肯定的言明とともに否定的な言明(神は~であるではなく、神は~ではないという言明)が必要である。この正教会の否定的言明は、実のところ超肯定であり、全ての言語や思考を超えて、生ける神の直接体験に触れてゆくように促す。これは「神秘」という言葉が意味する真実である。隠されているだけでなく、顕されていることを意味する。

神への信仰は、ユークリッド幾何学で得られる論理的な確実性のたぐいとは全く異なる。神を信じることは、理論上の議論で照明されたから神の存在の可能性を受け入れることではなく、私たちが知り、愛する「お方」に信頼を置くことである。信仰は、仮定ではなく確信である。

(隠されているが、顕される)神の人間への関わりを示すため、正教会の伝統は、神の本質と、すなわち神の「本性や内的あり方」と、神の「エネルギア」(その作用や力の働き)を区別する。神は、本質によっては他者であり、エネルギアによっては近づき得るものである。正教会がエネルギアと呼ぶものは、神の働きとして神の全てを指し示す。(神から放出されるものでも、モノや賜物でも、仲立ちでもない、一部分でもない。)神の本質とエネルギアを区別することで、神と人間の直接あるいは神秘的な合一の可能性を確信できる。これをギリシア教父たちは、人間の「神化」と呼ぶ。しかし同時に汎神論的な同一視は排除される。人は神のエネルギアに与るが、本質はわからない。一ではあるが、融合や混同はない。神と一つになったとしても、人は人であり続け、「我と汝」のペルソナ(人格)的関係が保たれる。

…ここでも、神との合一という概念が登場する。ただし、エネルギアによって、であり神の本質を理解し合一できるというのはないわけである。かなり微妙で理解できるような出来ないような…。私は異教徒であるので、エヴァグリオスの箴言にあるように理性で理解しようとしてもできるわけないのは当然か、と思う。ところで、今日の画像は、ギリシア演劇によるペルソナの画像である。昔々、ペルソナを題材にして、一連のパフォーマンスを脚本・演出したことがある。ペルソナはラテン語で、人格を意味すると同時に、ギリシア演劇における仮面を想起させる。なつかしい語彙である。

2026年1月31日土曜日

激動の2026年1月だった

2026年は1月3日の米軍のベネズエラ侵攻に始まり、イランの暴動激化、さらに中国の風雲とまさに国際情勢は激動した。ロシアもウクライナに大きな反撃をくらっているようだ。

アメリカの強硬な経済制裁が、見事に功を奏したように見える。トランプ政権は、反グローバリズムを推進し、ルーズベルトとチャーチルが提唱した大西洋憲章での自由貿易体制(戦争をおこさないための装置)をちゃぶ台返ししている。

たしかに、中国もイランもロシアもベネズエラも、それぞれやりすぎた。これから世界の工場と言われた中国中心のサプライチェーンは、半導体を始め、エネルギー資源やレアアースなどの世界的な供給構造が大きく変化するだろうと思われる。

圧倒的な軍事力を誇るアメリカだが、イランへの攻撃は躊躇するだろうと思われる。ハメネイ師を排除するため、暴動を支援するためといえ、その効果は決して大きくない。自滅していくのを待つほうが、アメリカのプラグマティズムに即している。空母打撃群を送ったのは威嚇に過ぎないし、もしイランの政治体制自体を覆すには、地上戦が必要だが、イランの地形は、四方を高い山脈と砂漠に守られており、イラク戦争時以上に困難を極める。イラクでの自由と民主主義の確立には失敗した。イランではそれ以上に容易ではない。中国も同様で、現状で介入するメリットはない。やはり、自滅を待つほうが得策である。

私が、新聞の1コマ漫画家なら、ロシアで、アサドとハメネイとプーさんが、プーチンを囲んで麻雀している姿を描く。互いにアメリカや国民の悪口を言いながら、流局(誰もあがれない)を続けるという様である。(本日の画像は、AIで作ってみたもの/初めてだったが、あまりに簡単にできて驚いた。)

2026年1月30日金曜日

風雲 中国情勢

https://jp.reuters.com/world/security/CHWEY
XRQVJKLNBGTPVXGVCF4JM-2026-01-25/
1月下旬になってから、北京の情勢が大きく変化しているようである。ただ、情報が制限的でしかも錯綜しているので、様々な中国ウォッチャーの言をそのまま信じることも難しい。ただ、プーさんの権力が砂上の楼閣化しているのは間違いなさそうだ。人民解放軍は、紅軍の後継者であり、基本は共産党政権のための軍であるはずで、軍事委員会のNo2の張又侠(制服組のトップ:画像参照)が粛清されたとしたら、各軍区は、すぐさま軍事委員会No1のプーさんへの忠誠を明確にするはずなのだが、沈黙を守っていることは事実のようだ。この背後にあるのは、プーさんが、アホほど軍の上級将校を粛清しておいて、しかも台湾侵攻への準備(陸海空軍・ロケット軍などの統合作戦計画を組む事)を27年までに完成させることを、自らの4選のために譲らなかった故であるらしい。特別な絆(親父同士が紅軍で戦い、側近中の側近であった)張又侠が軍事のプロとして35年まで無理だと断ったところにあるようだ。

とにもかくにも、指導者が変わったところで、現在の中国はどうにもならないほど経済が疲弊している。経世済民の立場から考えてみたが、ゾンビと呼ばれる採算の悪い国営企業を民営化するぐらいしか思いつかない。不動産バブルもすでに解決の道は閉ざされている。アメリカとの経済戦争に勝つ見込みもない。連邦国家に組織し直して、省ごとにある程度の自治を認めても、地方政府の財政は破綻しており、失業者対策もままならない。また各省の経済力の差が大きすぎる。さすがに、人民解放軍の各郡区が、清末期のように軍閥化して内戦になる、という予想はつかないのだが…。

2026年1月29日木曜日

オーソドックスの教材研究Ⅵ

カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』は、学術書というより、主教である著者の「説教」的色彩が濃い書である。
この本を選んだのは、目次に7つの視点から正教会における神の姿を表したタイトルが並んでいたからである。曰く、「神秘としての神」、「至聖三者としての神」、「創造主としての神」、「人としての神」、「聖霊としての神」、「祈りとしての神」、(エピローグとして)「永遠としての神」である。なかなか魅力的な構成ではないかと思う。次回からは、これら7つの神の視点をタイトルにして、書評と言うよりは興味深い内容の備忘録としてエントリーしたい。

もうひとつ、エピローグを読んでいて、「神の裁きは、ヨハネの福音書が強調するように、私たちの地上での生涯を通じて常に行われている。」という一節が目にとまったのである。正教会におけるヨハネ福音書重視の内容が、この書にあるかもしれないという期待もあった次第。

なお、『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的エントリーは、割愛することにした。聖母マリアをめぐる東西教会の相違や、偽書とされるエノク書における天国や、外典のニコデモ福音書における地獄の話、ウクライナやポーランドにおける東西教会の歴史的な問題などが描かれていたことを記しておきたい。

2026年1月28日水曜日

オーソドックスの教材研究Ⅴ

https://jp.gw2ru.com/arts/213791-rosia-seikyou-seidou-naibu
『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的なエントリー第5回目。正教会におけるイコノスタスについて。

正教会には、至聖所(祭壇のある内陣)と聖所(会衆席)を分けるものとして、イコノスタス(画像参照/イタリアの正教会)というものがある。(カトリック教会ではかつては仕切りがあった。)ロシア正教においては、イコンの配列もだいたい決められている。中心となる王門(至聖所と聖所をつなぐ門)の上に受胎告知(左:大天使と右:聖母)、その下に4人の福音書記者(翼とマタイ・獅子とマルコ・牛とルカ・鷲とヨハネ)がそれぞれの象徴とともに描かれる。王門の真上には最後の晩餐の図、その左右に正教十二大祭(キリストと聖母マリアにとって重要な出来事を記念する祭日)の図。これらの中で、デエンス(ギリシア語で祈祷)と呼ばれるイエス・聖母マリア・洗礼者ヨハネが最も重要とされる。(本書では、かなり詳細な解説がなされているが割愛。)

イコノスタスは、正教会の世界観を画像で表現したユニークな装置である、と著者は述べている。私は、NYのロシア正教会を覗いたことがあるが、このイコノスタスの記憶がない。赤いろうそくに照らされた無数のイコンに、とにかく圧倒されてしまった。今なら、いろいろ質問出来たと思うのだが…。

理気二元論についての質問

https://note.com/eytn_1a5zb7x/n/n45b7ffe2ed8f
正教会の修道士が、神の光を見ることを目指して修行に励んだことを、このブログに記していたら、世界史の受験生から、宋代の朱子学・理気二元論の質問が来た。東方の仏教や道教そして儒教の中で、同様の宇宙の真理と合一したいというスタンスは、正教会の修道士と趣を一にしているわけで、まさに奇遇である。本日はこの事について考察してみようと思う。

仏教における「仏陀」は宇宙の真理を悟った人間である。神ではない。佛教の定義に、仏陀になるための教えというのがある。大乗仏教では、出家者は自らも仏陀になることを目指すとともに在家をも仏陀にしようとするが故に「大乗」(バスのような大きな乗り物)なのである。中観における空の思想、唯識における人間の意識・無意識の分析、如来蔵による仏陀になる因が(唯識の最下層にある阿頼耶識に)に内在するといった大乗仏教の哲学が基盤となって、「一切衆生悉有仏性」(全ての人間には、仏陀になる因が内在している)という法理となった。仏教の理想は、仏陀になること=宇宙の真理を会得することである。

道教は、中国の民間信仰と仏教が混じり合ったもので、神仙思想を生んだ。仙人は道教における仏陀のような存在である。現実主義的願望・不老不死を体現しているところが中国らしいといえば中国らしい。

さて、朱子学はこういった仏教・道教の影響化で、理気二元論に到達する。本来儒学は、哲学的考察をもった倫理である。理は、形而上的な宇宙の真理であるので、様々に言語化されている。気は形而下的な存在であるので、これまた様々に言語化されている。朱子学における理は、四書五経から導かれるので、人間に当てはめると「道徳的な正しさ」と言うのが最も妥当だろう。この理を体得するために、居敬窮理がある。居敬は、ストア派のアパティアに近い、魂の平静である。窮理は、理を学問的(=四書五経)に追求することである。

こうしてみると、仏教・道教・朱子学、それぞれ相違点があるものの、宇宙の真理への渇望という共通点が見られる。「東方」の正教会の修道士との関連が実に興味深い。

私は、授業では、日本の江戸幕府の官学となった林家の「上下定分の理」で説明することが多い。(朱子学は宋代では結局主流にはならなかったが後世では科挙にも使われ、東アジアに伝播した。)この理気二元論/上下定分の理から導かれた、武士は武士らしく、農民は農民らしく、コンビニの店員はコンビニの店員らしく、高校生は高校生らしく、といった職業的立場的プロフェッショナルを目指す姿勢・理念こそが、日本の価値観の中で、最も顕著かつ有益に働いていると考えている。

受験生の質問に、最後にドジャーズの大谷投手の話で答えた。大谷投手は、まさに居敬窮理の象徴的存在である。その前提として、東北の岩手出身であることも大きいように思える。東北の人は粘り強い=メンタルが強い。(昔々、商業高校の修学旅行で、東北を訪れた時のバスガイドさんは凄かった。生徒たちは眠りこけているのに、車中ガイドをひたすら続けていた。厳しい風土の中で培われたものだと感心した。)平常心を失わず、常に謙虚に野球と、仲間・対戦相手や観客に向き合う姿は、まさに居敬である。さらに極めて練習熱心で、データの分析にも熱心な姿は窮理としか言いようがない。大谷選手本人が、理気二元論・朱子学の徒であるとは思わないが、自然に東北出身という風土的なものも合わせて、日本人の良さを見事に体現しているように思うのである。

2026年1月27日火曜日

オーソドックスの教材研究Ⅳ

https://navicup.com/object/israel-grand-tour/mount-tabor-360822/jp
『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的なエントリー第4回目。正教会における修道士と神秘主義について、さらに記述を追う。

修道士の修行の段階としての苦行(アセティシズム)と神秘主義(ミスティシズム)の正確な定義。苦行は、故人の努力による修行形態でいわば「獲得された」徳である。しかし目的ではなく、あくまで手段である。この点が(ヒンドゥー教の)ヨーガやディクル(イスラムの神の名や祈りの言葉を繰り返し唱える)との違いである。一方、キリスト教の修道生活における神秘主義とは、聖霊の賜物が人間の努力に打ち勝っている状態をいう。魂が受動的になった状態である。

古代哲学からキリスト教神学に取り入れられた基本的な命題は、あらゆる認識は感覚の「経験」をもとにして成立するということで、神の認識も例外ではない。ところが、神は感覚・経験の外にあるので認識し得ないものである。このような不可知論は、正教会の神学の基本的な立場ではあるものの、人間には絶対的に認識しえない神に終わっては、キリスト教が宗教として成立できない。さらに汎神論に陥る可能性がある。

キリスト教にとって、神は被造物の認識を超越した絶対神であると同時に、自己を現し行動する人格神でもある。この二律背反を認めるところに、キリスト教の存在意義がある。この問題は、西方では神の恩寵と人間の自由意志の矛盾というカタチで現れたが、東方では、その点は問題にならなかった。神が自己を現すとは、父と子と聖霊の聖三者として現れたことである。”ロゴスの受肉”はまさにそのことであって、神が人となられた以上は、人が神になる可能性もあるのではないか、と東方の修道士たちは考えたのである。旧約聖書はキリスト予言の書であり、新約聖書は主の臨在を告げるものである。全てのキリスト教徒は洗礼の際にその保証を得る。これが救いの神秘である、したがって、キリスト教徒であれば、この神秘(=神の賜物)に預かれるはずだが、修道士は(修行を積んでいるので)超自然的な霊的・神秘主義的なものにあずかれやすいのは当然ということになる。

…ここは、極めて重要な記述だと思う。”ロゴスの受肉”とはイエスの存在を意味する。ヨハネの福音書の冒頭”はじめにロゴスありき”に繋がるのではないかと推測できる。

神秘主義者の修道士が目標とする神化は、神の姿を見ることである。具体的には神の「非創造の光」を内的に知覚することである。教父たちによれば、キリストがタボル山(イスラエル北部の山:画像参照)の頂上で変容を遂げた際に、キリストを包んだ光で、ペテロやヤコブなどの弟子も目にしたもの。(この出来事はマタイ福音書の17章に描かれるが、山の名は示されない。)

…ここも重要な記述である。正教会の修道士の目指す、神になること=神の姿/具体的には「非創造の光」を内的に知覚することであること、この伝統は正教会に今も息づいているようである。

2026年1月26日月曜日

オーソドックスの教材研究Ⅲ

https://item.rakuten.co.jp/froms-shop/cube5/
『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的なエントリーの続編。正教会における重要な視点の1つであると思われる神秘主義について。

前回のエントリーで、ビザンツ帝国では「皇帝教皇主義」下の政治的理由で、修道士が総主教になっていく過程が明かされたのだが、この修道士は、パイディア(ギリシャ哲学的教養)を軽視した。厳しい修行と禁欲生活を身に課して、彼らが求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであったので、パイディアは信仰の妨げと映ったのである。異端とされた単性論の影響は東方では根強く、キリストの神性を重視し、共住する修道院より隠修士の方が高度な修行形態であるという認識も強かった。テオドロス(イコンを養護した首都の修道院長)は、こういう状況(独善的・異端的になる恐れ)を危惧していたのだが、神秘主義(へシュカスモス:静寂主義)のシュメオンは「神の光に照らされると聖なる人は完全に聖霊とともに燃焼し、その中で自己の神格化の神秘を予期しうる。」と言った。この神秘主義の是非は、14世紀には大きな論争を生んだ。結局、この神秘思想はビザンツ教会の正統の教えとして認めらることになったのである。

…「東方」は、カトリックの西ヨーロッパとは大きく異なる点がある。それは、アジアの様々な宗教との関わりである。この神秘主義は、ユダヤ教のカバラ(画像参照)、イスラムのスーフィズム、ヒンドゥーのヨーガ、仏教の禅など、神あるいは宇宙の法・仏性との合一といった面がある。この影響を東方正教会は受けたといえるだろう。極めて重要な特徴であると思われる。

2026年1月25日日曜日

米国 反グローバリズムの鐘3

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tbs/world/tbs-2419184
 1月9日・10日に「米国 反グローバリズムの鐘」というエントリーをしたが、ついにトランプ大統領の国際戦略が姿を表した。戦後80年間の国際秩序が大転換しつつある。少し間が空いたがこのタイミングで、3回目のエントリーをしようと思う。

ニュースソースは、https://www.youtube.com/watch?v=Bps1H573N_Qである。このチャンネルの内容はは、アメリカ政治を中心にかなり信憑性が高い。

トランプ大統領は、ダボス会議に史上最大規模の使節団を引き連れ参加した。このダボス会議で、『平和評議会』の署名式典が、1月23日に行われた。昨年9月のガザ和平案で提唱され、国連安保理でも設立が支持された国際組織で、委員長はトランプ大統領本人、アメリカ陸軍将校が率いる「国際安定化部隊」も創設されるというもの。要するに、国連に代わる国際紛争の解決と安定のための国際機関である。

60カ国に招待状が送られたのだが、この発足式典に参加したのは、ハンガリー・ニルがリア・アルメニア・アゼルバイジャン・サウジ・UAE・バーレーン・モロッコ・ヨルダン・トルコ・ウズベキスタン・カザフスタン・パキスタン・モンゴル・パラグアイ・アルゼンチン・インドネシアの19カ国。(ロシア・ベラルーシ・イスラエルは式典に参加していないが参加したのでは?という話がある。)

意外な顔ぶれである。というより先進国が少ない。イギリスはロシアが参加を許さずNG、ウクライナはロシアとベラルーシの参加を許さずNG、フランスとノルウェーは国連の代替との懸念、イタリアは憲法上の問題でNG、カナダは、グリーンランド問題で親中国・反トランプが鮮明でNG。日本や中国、アイルランドは様子見。

これまでの国際秩序では、国連には、国連軍(国連憲章第7条に規定された安保理の決議による派遣軍:朝鮮戦争時に、ソ連が欠席、中国は台湾だったので成立したのが唯一。)とPKO(平和維持活動)がある。それ以外に、安保理決議に基づいた参加国の自由意志・責任・費用負担に基づく多国籍軍(湾岸戦争、東ティモール、コソボ紛争等)があったのだが、今回の『平和評議会』は”国連安保理とは連動しない多国軍組織”と見るべきかも知れない。ただ、拒否権を持つアメリカにとって国連・安保理離脱はリスクが大きいので、現状そこまでは踏み込んでいない。

国連の機能不全を補うというより、アメリカ中心に、実行力ある武力行使を行い、国連の自然消滅を目指したものと伺う向きもある。たしかに、今の国連は口は出すが、実行力が伴わない。トランプ共和党から見ればカネだけ取られて何の価値も利益も生まない組織に見えるのだろう。ところで私の懸念。1993年のソマリア・モガディシュの戦闘以来、アメリカのママたちの反対によって、米軍は特に利害のない地域での地上戦を避けてきた。この世論をどう克服するのだろう。

ところで、前回エントリーした様々な国連・非国連の国際組織からの脱退は、アメリカのプラグマティズムから見て、上記同様、何の価値も利益も生まない組織と映っているようだ。特にSDGsの目玉である環境問題に対しては、現状ヨーロッパが主導(成功しているとは言い難いが…。)しており、遅れを取ったアメリカ共和党筋は熱心ではない。よって、UNDESA/国連経済社会局(SDGsの推進を担当する国連事務局の中枢部門) からの脱退は、その意思の明確な表明と見るべきである。

一方で、MDGs以来の途上国への国際協力に対しても関連国際組織から離脱している。これは、おそらくUSAID(アメリカ国際開発庁)の公金の無駄使いから派生していると思われる。たしかに、アジア・アフリカの独裁国家だけでなく多くの途上国の汚職指数は高く、アフリカウォッチャーの私から見ても、デモクレイジーを助長しているわけで、理解できないことはない。

また『平和評議会』の式典と同日に、1年越しでWHOから離脱した。(WHOはまだ25年度のカネがどうのこうのと言っているようだが…)コロナ禍の時に表面化したWHOの親中国路線とグローバリストの策略・W(民主党絡みのアメリカの製薬会社は、なぜあんなに早くWを製造できて、さらに多くの被害をもたらしたのか、未だ不明である。)の問題など、トランプ大統領のWHOへの不信感は極めて大きい。日本も同様に離脱してもいいのではないかと思う。

トランプ政権は、自由貿易体制に高関税政策で立ち向かい、経済制裁を行うという反グローバリズムの実施に加えて、外交・政治・軍事分野でも、明確な反グローバリズムを打ち出したといえるだろう。今回の一連のアメリカの動きについて、理解できるところもあり、理解できないところもある、というのが正直なところである。

2026年1月23日金曜日

オーソドックスの教材研究Ⅱ

https://khabarovsk-channel.com/news/latest/mass
今回、オーソドックスの教材研究を進めようとしている理由は、佐藤優氏の『哲学入門』で、プロテスタントの神学生にもオーソドックスの教義の研究の重要性を説いていたこと、また別の著作の中でで佐藤優氏は、「オーソドックスはヨハネの福音書を重視している」という指摘をしており、その理由を探ることにある。

本日のエントリーは、『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的な内容である。前回記したように、森安氏は西洋史学者でもあるので、膨大な歴史的知識をこの書に詰め込んでいる。その中で、興味深い内容をピックアップしたい。

東方キリスト教会の典礼(公的な祈祷のこと)でミサが代表的であるが、ルカ福音書の22-19にある最後の晩餐時の「わたしの記憶のために」から聖餐が生まれた。キリスト教徒は、聖霊の働きによって、パンとぶどう酒がキリストの体と血に変わると信じ、秘儀としておこなうので、当然信者しか参加できない。一方でユダヤ教の安息日に会堂で聖書を朗読する習慣にならい、自分たちの聖典の奉読をミサの前半部に取り入れた。これは、信者以外も参加可能とされた。前半部が終わると信者以外には退席を促す。この退席を促す言葉のラテン語(Ite,missaest:行け退散なり)がミサの語源である。

ビザンツ帝国においてはギリシア語が、ローマにおいてはラテン語が用いられていたが、奇妙なことに4世紀頃から、東方ではラテン語の忘却、西方ではギリシア語の忘却が、ほぼ時期を同じくして起こった。これは考えてみれば奇妙な現象である。

ビザンツ帝国では、皇帝は正教会の総主教を選出する母体であった。総じて総主教の権威はローマ教皇に対して見掛け倒しであった。(…この記述は、現在のロシア正教における国家権力と聖職者の関係にも繋がる。)やがて、このような状況に対して、修道院は批判生勢力として台頭する。彼らは、一般に妻帯を認められていた司祭に対し、主教となるには独身でなかればならないと主張、本来なら世俗を離れた修道士が司祭以上の高位聖職者になっていく。皇帝としても、無害な修道士にまかせることを良しとした。

と、本日はここまで。まだまだ付箋がついている。(笑)

2026年1月22日木曜日

オーソドックスの教材研究Ⅰ

学院の図書館で、オーソドックス(東方正教会/ギリシア正教会等)の教材研究のため、3冊学術書を借りてきた。かなりの量の関係書籍の中から、目次やまえがき・あとがきで選んだのは、森安達也著『東方キリスト教の世界』、カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』、そして落合仁司著『ギリシア正教 無限の神』である。

森安達也氏は、東京外国語大のロシア語卒、東大の院で西洋古典学を学びワルシャワ大・東洋学研究所をヘて、東大の教養学部教授。スラブ中心の西洋史学・キリスト教史が専門。東大の教養学部の教授。

カリストス・ウェア氏は、イギリスのオックスフォード大出身。英国国教会から正教会に転じ、修道士となり、イギリスの正教会大主教の補佐となった人物。訳者の松島雄一氏は、早稲田大の文学部・政経学部卒業後、一般企業勤務をへて東京正教神学院で学び、大阪針トリス教会の司祭から長司祭に昇叙した人物。

落合仁司氏は、東大の経済学部から博士課程をヘて、現在は同志社大経済学部教授。専門は宗教学・数理神学・東方キリスト教学である。

それぞれ特徴があるので、まずは、3冊の中で最もオーソドックスそうな『東方キリスト教の世界』を読んでいる。著者は、西洋史学者・キリスト教史学者であるので、極めて詳細なビザンチン帝国の話が続いているので、その辺は斜め読みしながら読んでいる。とはいえ、だんだん付箋が増えていくのであった。(笑)

2026年1月21日水曜日

外国語学部専攻語アドバイス

https://www.google.com/search?q=
共通テストが終わり、もうすぐバンザイ・システム(予備校による全国的な資料を元に合格率を出すシステム:昔A評価だとバンザイのマークが付いたので業界ではこの名がある。)が出てくる。昨日、特進コースの生徒から、某国立大学の外国語学部の専攻語選択について、アドバイスを求められた。

中国語・デンマーク語・アラビア語・モンゴル語・フランス語・トルコ語・フィリピン語・スペイン語・ロシア語・ベトナム語・ドイツ語・ヒンディー語・ウルドゥー語・アラビア語・朝鮮語・英語・ペルシャ語・インドネシア語・イタリア語・スワヒリ語・タイ語・ポルトガル語・ハンガリー語・ビルマ語・スウェーデン語の中から1つ選ぶことになる。昔M高校時代にもよくアドバイスをした。この言語に全て志望順位を付けなければならないらしい。

私のアドバイスのポイントは、1:成績結果次第であること。ヨーロッパ言語は比較的上位の成績が必要で人気が高い。アジア・アフリカの言語は人気が低く、比較的下位になっている。ただ、マイナーな言語は日本語対応の辞書がない場合が多く、英語版辞書で学ぶことになるので、英語の学力がさらに身につく。2:各言語の文字が、アルファベット(ダイアクリティカルマークのあるものも含む)か、それ以外か。学ぶうえで文字の違いは大きい。3:文法的にSVOCか、日本語同様、Vが最後に来るのか。これも大きい。

成績のことはとりあえず無視して、上記の言語をアドバイス・ポイントの2・3で4分類してみることを勧めた。アルファベットにこだわるか、SVOにこだわるかである。一応自分でも分類してみた。

アルファベット&SVO:デンマーク語・フランス語・フィリピン(タガログ)語・スペイン語・ベトナム語・ドイツ語・英語・インドネシア語・イタリア語・スワヒリ語・ポルトガル語・スウェーデン語

アルファベット&非SVO:トルコ語・ハンガリー(マジャール)語

非アルファベット&SVO:ロシア語・タイ語・中国語(中国語の文字は簡体字化している)・アラビア語(基本はVSOだが、SVOも非常によくつかわれるらしいので、ここに分類)

非アルファベット&非SVOC:ヒンディー語・ウルドゥー語・朝鮮語・ペルシア語・ビルマ語

アジア・アフリカ諸国の言語には、旧宗主国の語彙が混じってくることも伝えておいた。結局、本人が何に重点を置くかが大切だと思う。この分類以外にも、その言語を使う国の魅力なども加味されるだろうと思う。ちなみに私のおすすめは、英語やマレーシア語同様、アルファベットでダイアクリティカルマークがない、ケニア・ウガンダ・タンザニアで使われる”スワヒリ語”である。(笑)

2026年1月20日火曜日

アーミッシュ備忘録4

https://ameblo.jp/bandazakura/entry-12427240915.html
『アーミッシュ もう一つのアメリカ』(菅原千代志著/丸善ブックス 1997年)の興味深い内容の備忘録的エントリー第4回目。

最初に記した(1月14日付ブログ参照)が、アーミッシュはペンシルベニア州だけにコミュニティを持っているのではない。1992年度の統計ではオハイオ州の方が多い。43200人。(PAは35200人)第3位はインディアナ州で25200人。他に、1万人に満たないが、ミネソタ・ウィスコンシン・アイオワ・カンザス・ミズーリ・オクラホマ・イリノイ・ミシガン・ケンタッキー・テネシー・ニューヨーク・デラウエア・メリーランド・カナダのオンタリオなどにコミュニティがある。その他、人口統計がない州には、MT・TX・VA・NC・FLなどがある。長男や次男が新しい農地を求めて移住していったのだろう。

…『11のアメリカ』から見れば、ウィリアム・ペンの「寛容な宗教政策によって移民してきたドイツ系」の多いThe MIidlandに、「質素に生きるアパラチア山脈の農民たち」の世界である(Greater Appalachia)が交差としているようにも見える。

アーミッシュの家の軒先には、必ずといえるほど小鳥の巣箱や餌箱があり野鳥の天国のようだったと著者は記している。来るのは、冠をもつ赤く美しいカージナル(画像参照)。ちなみにミズーリ州・セントルイスのMLB・カージナルスで有名だが、意外にも州鳥ではない。オハイオ州、イリノイ州、インディアナ州、ケンタッキー州、ヴァージニア州、ウエストヴァージニア州、ノースカロライナ州の州鳥ではある。他にもトロント・ブルージェイズで有名な青いブルージェイも来るらしい。しかし、こちらも、オンタリオ州の州鳥ではない。(笑)ともあれ、これらの野鳥と共にある彼らの暮らしは、質素でありながら、なんと豊かなことか…。

本書の最後に、著者はこう書いている。「家族の絆を大切にし、人間関係を損なうと考えられる現代文明を拒否する。自然と共存しながら手作りの道具で暮らすアーミッシュの人々のシンプルな生活には、私たちが失ってしまった穏やかで豊かな人間性が感じられる。」「アーミッシュといえども現代アメリカ社会の一員である。頑なに17~18世紀の生活を守ろうとしている訳では無い。ただその加速するスピードに、懸命にブレーキを踏むことで妥協点を見出し、家族や隣人との絆を守ろうとしている。私にはそう感じられた。」

…通勤電車の中で、ほぼ8割、時によっては全員が、ずっとスマホを見ている。私には異様な光景に映る。便利になったというメリット以上のデメリットを感じている私は、アーミッシュの人々の生き方をリスペクトする気持ちがある。同時に、(アマルティア=センの言う)子供たちの潜在能力を活かせているとは言い難いのも事実。本書は、多くのことを考えさせてくれた。

2026年1月19日月曜日

アーミッシュ 備忘録3

https://www.mullenbooks.com/pages/books/186903/thomas-von-imbroich-confessio/ausbund-das-ist-etliche-
schone-christliche-lieder?soldItem=true&srsltid=AfmBOooAEg3hWfa4a14OBe4x6CVurg_7Ctxz9lj-djXqkk3Bgo9ZJoQt
『アーミッシュ もう一つのアメリカ』(菅原千代志著/丸善ブックス 1997年)の興味深い内容の備忘録的エントリー第3回目。

アーミッシュには職業的聖職者はいない。(前述のビショップ等は職業的聖職者ではない。)礼拝時の聖歌は、16世紀に迫害を受けたアナバブテストによって描かれた『アウスブント(Ausbund)』(画像参照)に収められたものを、伴奏なしのユニゾンでゆっくりと歌われる。この聖歌集の末尾にもあるが、迫害の記録である『殉教者の鏡』(The Martyrs Mirror)とルター版の新約聖書が必読書である。礼拝時、ベンチ・ワゴンで運ばれた折りたたみのベンチが運ばれ、男女が左右に別れて座り、耳の遠くなった老人が前に座る。隔週の礼拝は数時間に及ぶが、単調な農作業の日々の生活のアクセントとなる楽しい日であり、情報交換の場でもある。礼拝のないフレンドシップ・サンデーは、休養や親戚・友人を訪ねたりする。

アーミッシュは基本的に農業を志向し、来る者も去る者も拒まず布教活動もしないが、メンバーは厳しい戒律を守る。(一方、メノナイトは教義を共有しながらも社会活動は活発で、日本を含めた世界中に存在する。)アーミッシュの重要な教義は、①洗礼、②人類愛、③絶対の平和主義(軍役はもちろん、法的な争いも避ける:1972年、ウィスコンシン州でアーミッシュの教育制度が義務教育の年限が不足しているとして告発された際も、アーミッシュは係争を嫌うので一般のアメリカ人が対応して勝訴した。社会的信頼を得ているという例でもある。また交通事故の損害賠償もしないとのこと。)④信仰を損なわせる近代文明への非協調、⑤聖書の教えに従う、である。

これらを守るための厳格な不文律があり、その基本は質素・従順である。まさに「プレーン&シンプル」と呼ばれる由縁である。親から子へと引き継がれるこの質素・従順は、「ゲラッセンハイト(Gelassenheit)」と呼ばれるのだが、ドイツ語以外には同義語がない。意味の内容としては、”神の賜物は何でも感謝を以て受くべきである”というもので、相互の絆や助け合いを大切にするため、互いが近い場所に住んでコミュニティを形成することになる。ところで、規律を破った者には、家族でも同じテーブルで食事をすることも、夫婦でもベットを共にすることも許されない。とはいえ、根気強く説得が行われ、反省・告白がなされれば復帰できる。

アーミッシュの墓地は丘の上の柵に囲まれたプライベートな場所で花などは一切飾られず、埋葬後はほとんど訪れない。墓標は質素な石碑か、何も記されていない木版である。ただし、葬儀には多くの人が集まり、婦人たちが多くの種類のケーキを持ち寄り故人を偲ぶという。

共通テスト2026 地理

共通試験の考察、最後は地理である。正直なところ、あまりおもしろい問題はなかったのだが、あえて挙げるとすれば、第5問の問2。当該国における外国人居住者と当該国における国外居住者をグラフ化(画像参照)した問題。当該国は、UAE・インドネシア・フランスの3カ国である。アはUAE、イはフランス、ウはインドネシアで、決して難問ではないが、世界的に見た人口移動の状況は重要だと私は思っている。
もう一つ。第6問の国際河川と気候区の関連付けの問題(画像参照)。各ケッペンの気候区は上流から河口にかけて明確にはされていない。ここがミソである。ドナウ川は上流から河口までCfb。次にイの河口とウの上流が同じというのもミソ。これはAwである。これだけで正解が導かれるわけだ。

本年は、私に関係の深い3科目の考察、というより面白い問題の抽出になってしまった。共通テストは、毎年毎年、資料を使った思考問題に変換されている。国公立大学を目指す優秀な高校生に求められているのは、まさに短時間で資料を読み解く力と思考力であることが明確になってきた。現場としては、この傾向をますます踏まえなくてはならないわけで…。

2026年1月18日日曜日

共通テスト2026 公共政経

続いて、公共政経の問題の考察。政経分野もかなり資料を読み、思考力を問う問題が多い。まずは、公共の問題から。日本国内の在留外国人の資料問題が第2問問2で出ていた。(画像参照)人口の数値の変化(資料1)と、定住者/永住者・技能実習/特定技能者・技術/人文知識/国際業務・留学・家族滞在/日本人の配偶者などの各国別分類(資料2)をもとに、読み解く正誤問題である。時節柄、良問であると思う。

また政経では、第6問で、SDGsに関する問題も登場した。いつかはこういう正面から取り上げた問題が出されると思っていたのだが…。問1では、HDI(人間開発指数)の誤りの記述も見られた。この第6問自体は、資料が膨大であるが、選択肢を見ればそんなに解けない問題ではない。第4問は政経の基本的知識が要求されるが、ここが勝負どころ。第5問が日本の人口減少問題でかなり時間を費やすので、第4問にどれだけ時間を費やしたかが分かれ目だというある予備校の解説は正しいと思う。

共通テスト2026 公共倫理

恒例の共通テストの考察。まずは公共倫理である。公共が2問25点、倫理が4問で75点配点で昨年と同じ。上記の問題は、「悪」についての第3問の問1・2。問1は比較的容易。消去法で荀子とすぐわかる。問2は、少し難しい。ルソーは、従うべきものは一般意志なので✕。イザヤ(旧約の預言書イザヤ書の著者)やスーフィズム(イスラム神秘主義)なんて高校倫理ではあまりやらない。国際法の父であるグロティウスは、世界史組なら想像がつくだろう正解は3。この「悪」の問題は、プラトンの『クリトン』、ニーチェ・ヒューム・フロイトの人名選択問題、さらにアウグスティヌス・モンテーニュ・カントの正誤問題、仏教思想、アーレントとヤスパースの記述挿入選択問題、最後にベンサムとJSミルの功利主義へと繋がっている。容易な問題も多いが、(自由や善といった従来のテーマをあえて避け)「悪」をテーマに、これだけの関連問題を作成した先生方のご苦労が忍ばれる。

今回は、さらに一部の教科書にしか載っていない心理学的な内容もあって、倫理の共通テスト対策は、従来の哲学史中心でやってきた現場にとってさらに困難を強いられているように思う。

2026年1月17日土曜日

アーミッシュ 備忘録2

https://www.ebay.fr/itm/284055124429
共通テストの初日、本年も社会科から始まった。2科目受験の文系は2時間。地歴と公民の試験を受ける。例年この時間帯は仏壇に向かって、生徒諸君の健闘を祈っている。すでに国語の時間帯になったので、『アーミッシュ もう一つのアメリカ』(菅原千代志著/丸善ブックス 1997年)の興味深い内容を備忘録的エントリー続編を記していこうと思う。

アーミッシュを規律で分類すると、厳格な規律を守るオールド・オーダー・アーミッシュから、イングリッシュ(普通のアメリカ人を意味する)同様、電気を用い電話がある生活を送るニュー・オーダー・アーミッシュまで、各コミュニティ間で幅があり、より都会的・現代的だとされるメノナイトでも、厳しい規律を守るオールド・オーダー・メノナイトもあり、彼らはアーミッシュと共にプレーン・ピープルと呼ばれる。また、(同じ再洗礼派のプレサレン派(兄弟団)はアメリカに同化したが、)メノナイトから派生したもう1つのフッタライトをあわせて、この3つをメノナイト系と呼ぶ。

再洗礼派(幼児洗礼を認めないという意味では厳密におかしいのだが、バブテストと区別するために便宜的に使用されている)であるアーミッシュ。子供たちは、大人になって自分の意思で洗礼を受ける。それまでは、規律の外にある。子供たちの80%が教会にとどまるとのこと。離れる最大の理由は、メノナイトやイングリッシュとの結婚である。また、アーミッシュやオールド・オーダー・メノナイトでは、上の子供から独立させ、末っ子に自分の農場を譲るのが一般的である。

大家族で昔ながらの農業を営む中で自然と洗礼を受け入れる子供が多いのであろうと思われる。大変な労働も多いが、家族の絆が自然と子供も含め各自の役割を決めていき、特に女の子は母親の薫陶を受けてよく働く娘になっていくようだ。

本日の画像は、アーミッシュの人形。偶像を禁じるアーミッシュは人形にも顔を描かなかった。但し、最近はバービー人形で遊ぶ女の子が多いそうで、観光客のお土産用になってしまっったという。

2026年1月16日金曜日

アーミッシュ 備忘録1

https://picosta-hair.com/2017/07/15/amish/
『アーミッシュ もう一つのアメリカ』(菅原千代志著/丸善ブックス 1997年)を本日、帰宅通勤時に読み終えた。本書の興味深い内容も備忘録的にエントリーしておきたいと思う。

まずは、アーミッシュの比較宗教学的総論。彼らはルター派の流れをくむが、ルターが積極的だった幼児洗礼を認めない。メノナイトやアーミッシュは再洗礼派と呼ばれるのはこのためである。また人間の共働の重要性を解くツヴィングリの影響を受けている。彼らが現代技術(電気や自動車など)を使わないのは、コミュニティと家族の絆を弱めると考えているからである。(本書では、よく似ているメノナイトは、アーミッシュより比較的現代技術に寛容であることが示されている。メノナイトが自動車を所有・運転しているとの記述がある。また、アーミッシュの中でも、完全に現代技術を否定しているわけではなく、コミュニティごとに差があることも記されている。また自動車は所有しないが、バスに乗ってフロリダ旅行をしたという記述も見られた。)

アーミッシュのルーツは、スイスやドイツで、現在使われている言語は、古ドイツ語混じりのペンシルベニア・ダッチであるが、外部との言語として英語も使う。英語は、子どもたちは、ワンルーム・スクール(1年生から8年生まで同じ教室で、若い独身女性教師1名と学ぶプライベート・スクール)で学ぶとの記述があった。ちなみに聖書を読むための北部ドイツ語も学ぶという。

ちなみに、アーミッシュは建物としての教会を持たない。(教区といったほうが妥当。)各州の日曜日、メンバーの家で持ち回り礼拝(十字架のない場所で行われる)をすることから、ハウス・アーミッシュと呼ばれる。一般に、20~30家族で構成され、ビショップ(最高責任者:洗礼・結婚・規律を乱した者の分離や復帰を司る)1名、ミニスター(ビショップの補佐:礼拝でメモや本を使わずに説教する。)2名、ディーコン(総務・財政的役割:礼拝の準備や進行、メンバーの窓口的役割も担う)1名のリーダーのもと運営されている。

…比較宗教学的に見ても、かなり独特な宗教集団であるのだが、私自身異教徒でありながら、その自然満ちた生活の描写に大いに惹かれるところがあった。明日は、いよいよ共通テスト第一日目であるので、毎年行っている社会科のテスト内容の考察も控えているのだが、さらにアーミッシュの備忘録の続きもエントリーしたいと思っている。

2026年1月15日木曜日

テーブルベルを訪ねて5時間半

これまで使っていたテーブル・ベルが行方不明になった。今日は時間割の関係で休日になった。明日はディベート本番のクラスがあるので、以前見かけたことがある100円ショップの「D」に買いに行った。売りきれていて、日曜日には入るというスタッフさんの回答。仕方ないので2軒めのDへ。ここでは取り扱っていないとのことで、3件目。ここも品切れとのこと。次に同じような100円ショップSへ。ここでも取り扱っていないとのこと。階下の文房具店も同様。枚方市駅のDを2件回ったがダメ、無印良品にもなし。明石焼きの昼食をとって、昔、妻が見たことがあると言っていた文房具屋でも品切れ。オイオイ…。

ディベートの緊張感のある雰囲気づくりには、ストップウォッチとこのテーブルベルは欠かせない。枚方市内を諦め、京都・八幡市の巨大なホームセンターへ向かった。おそらく最大の売場面積を誇る文具売り場にもなかった…。もし階下のホームセンターになかったら諦めて他の方法(PCを使って、テーブルベルのSE化など)を探そうと思っていたのだが、最後の最後に「見本品」のテーブルベルを発見した。在庫はないという。見本だろうと何だろうとかまわない。すでに価格の問題でもなくなっている。というわけで、5時間半にわたるテーブルベル探しの旅を終えたのだった。ふぅー。

2026年1月14日水曜日

菅原千代志 『アーミッシュ』

佐藤優氏の『哲学入門』と同時に学院図書館で借りた『アーミッシュ もう一つのアメリカ』(菅原千代志著/丸善ブックス 1997年)を通勤再開とともに読み始めた。最初は軽い気持ちで付箋なしで読み始めたのだが、またまた付箋をつけて読むことになった。ちょうど半分くらい読んだのだが、すでに多くの付箋が貼られている。本書は、学術書ではなく、アーミッシュの人々の暮らしに魅せられた写真家による紀行文である。

私の興味はどちらかといえば比較宗教学的なスタンスなのだが、細かな描写が新鮮で、ついつい付箋を貼ってしまうのである。(笑)なによりまず驚いたことは、アーミッシュといえばペンシルベニア州だけにいると思っていたのだが、オハイオ州やインディアナ州など全米にコミュニティが存在していること。ユダヤ教徒同様に、近代化に対しての対応に差があることである。ユダヤ教徒に超正統派や世俗派があるように、アーミッシュにも様々な人々がいる、ということである。こちらもおいおいエントリーしていこうと思う。

イラン情勢が緊迫し、ドイツの首相や外相が「イランの政権に正当性はない」と発言、アメリカの介入を後押ししているこの時、争いごとを忌避する平和主義者のアーミッシュの人々も同時にアメリカに存在していることを改めて想起することに意義を感じる次第。

2026年1月13日火曜日

ポスターセッション無事発表

このところ、硬い話題ばかりだったので、久しぶりに地理総合の授業の話をエントリーしたい。本日、ポスターセッションの最初の発表をやった。グループ分け・国選び・企画段階で1時間、3クラスのグループ数が判明してから模造紙購入をして年明けに配布、制作開始で1時間。そして次の時間に発表本番という、かなりタイトなスケジュールとなった。これは、オーストラリアからの短期留学生(昨年12月7日付ブログ参照)にも発表してもらいたいという理由によるものである。

果たして、それぞれ完成し発表できるか不安であったのだが、全グループはスタンバイできていて安心した。聞くと土曜日の放課後に作業をしていたグループ、B4の白紙に各自の担当部分を自宅で完成させて張り合わせたグループなど様々に工夫してくれたようだ。

特に印象に残ったのは、いつも熱心に授業を受けてくれたグループの「ブルキナファソ」の発表である。何より、最後にブルキナファソの問題点を解説してくれた点である。最貧国のひつであるブルキナファソの教育や保健医療の問題に踏み込んでくれていた。授業の最後に、少し私の体験的な保健医療や教育の問題(街角で足の立たない人を見たこと、JICAの看護師さんが言っていた妊婦が病院にいくと悪霊がつくと避けている現状や奈良教育大学の先生が数学の授業を教育関係者にしていたこと、教育省のエリートと対話させてもらったことなど)を付け加えておいた。良い授業になった。

特に、敬意を払ってオーストラリアを選んで発表した留学生の参加するグループの写真を中心に撮り、授業終了直後に私のカメラ→PC/USB経由でホームステイしている生徒のPCに移すことが出来た。後はどうにかなるだろう。(笑)日本での思い出の一つになればと思う。

2026年1月12日月曜日

イラン 革命防衛隊の動向は?

https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_83882/
イランの革命防衛隊(画像参照)の動向が注目されている。この組織は、イスラム革命時に、旧パーレビ王政に近いとみなされた国軍に対抗して設立され、兵士数こそ少ないものの事実上国軍より上位に位置している「イスラム革命政権」を守るための軍事組織である。この辺は中国の共産党政権を守るための人民解放軍と似ている。しかも人民解放軍同様に商業活動を許されており、イラン経済の約1/3を動かしているようだ。ただ、革命防衛隊の中でも急進派や穏健派に分かれており、一枚岩ではないらしい。また、100万人規模のバスィージという保守的な民兵組織を持っている。

今回のイラン危機を左右するのは、この革命防衛隊の動向だろう。果たして「神の敵」とされた政府批判に走る一般民衆に強硬な姿勢で臨むのか、否か。

もしさらに多くの死傷者を出したとしたら、アメリカとイスラエルが革命防衛隊の基地に攻撃を加えるだろうことは、十分予想できる。アメリカとしては、イランが弱体化すれば御の字という大前提(パーレビ王制の皇太子がアメリカに亡命中だが、彼をイランに送り新米政権を打ち立てるというは、あまり現実的ではない。)のもと、必要性があれば介入するかもしれないが、国際社会を納得させる大義が必要である。前述(1月8日付ブログ参照)の「保護する責任」(R2P)に該当するかどうか、が鍵となる。

一方、経済制裁下でイランの安価な石油を買っている中国としては、正反対の立ち位置である。ただ、国内の治安事情の悪化の中、イラン介入を行えるかか否かというジレンマがありそうだ。ちなみにロシアはそれどころではないのが現状。いずれにせよイラン情勢から目が離せない。

2026年1月11日日曜日

イラン政府 民衆を「神の敵」に

https://www.reddit.com/r/Maps/comments/1atnjpd/iran_ethnic_groups/?tl=ja#lightbox
イラン情勢はますます緊迫しており、追い詰められたイラン政府は、最後の賭けにでたようで、抗議行動に参加する人々を「神の敵」(دشمن خدا)と呼び、革命防衛隊に(神の敵故に)死刑にして良いとの指令を出したようだ。

イランの危機は、内戦、そして宗教戦争へと発展していく可能性が高まった。イランは、西部のクルド人地域や南西部のアラブ人地域、北西部のアゼルバイジャン人地域など、中央部のペルシャ人地域とに、大きくは4区分される(画像参照)。それぞれの地方が、様々な思惑をもち、内戦化していくのではないかとの懸念が広がっている。また「神の敵」という語を用いたことで、宗教戦争となった。宗教戦争は終わりのない戦いになる可能性がある。これらのことは、これまでの世界史の事例が示す構図である。米軍はさらに介入には慎重にならざるを得ないだろうし、介入すべきではないと私は思う。

イラン イスラム共和国の危機

https://jp.wsj.com/articles/iran-s-supreme-leader-says-country-will-not-surrender-cf68ece7
数ある戦後史の事件の中で、私が最も重大だと思っているのは、イランのイスラム革命である。このイスラム革命がアフガニスタンのイスラム勢力に大きな影響を与え、ソ連の侵攻に゙繋がり、ソ連が崩壊、冷戦が終わったからである。

そのイランの神権政治体制が今崩壊しようとしている。イランは、革命後、イスラムの正義を掲げ、アメリカとシオニズムに強く反対してきた。ハマスやヒズボラ、フーシ派などのスンニー派組織に宗派を超えて支援を行い、シリアやイラクのシーア派武装勢力を支援してきた。しかも自国はイスラエルの核に対抗するため核開発を進めてきた。

有数の産油国であるからこそ、このような軍事力増強・支援が可能であったのだが、アメリカの経済的締め付けが徐々に効果を出し、先年のイスラエルとの核施設攻撃で、軍事力は一気に弱体化した。戦争や軍事力増強は、財政を圧迫し、国民生活に大きな負担を強いる。この歴史的原則は、今も生きている。

しかも輸入依存度が高いイランは、通貨安からくるインフレに悩まされ、ついにバザールの小売業者かに端を発した抗議運動が全国に急速に広がったのである。経済的困窮が主原因だった抗議活動は、やがて反米・反イスラエルの国是で、国民生活をあまりに犠牲にした政府に対し、「独裁者に死を」というスローガンに変化したわけだ。十二イマーム派の多いイランでは、アシュラ(第4代カリフ・アリーの一族の無念を共有するため、集団でムチを打ち合う儀式)に代表されるような過激な信仰の一面がある。この強い信仰心をも凌駕するほどの経済的破綻なのである。

イラン政府は、この危機に際し、強く出て犠牲者を増やせば、アメリカの介入を呼び、政権が崩壊する。アメリカは心理戦として介入を示唆したが、慎重な姿勢を崩していない。だが、前回同様、中東地域に兵を集めている。弱く出れば、ますます暴動が拡大するのは明白だ。

イギリスの報道では、ハメネイ師を始めとした首脳は、すでにロシアへの亡命計画を立てている、フランスの報道では、ホメイニ師と同様フランスに亡命するなどと囁かれている。政権の寿命はほとんど尽きているといえよう。

2026年1月10日土曜日

米国 反グローバリズムの鐘2

https://townphoto.net/tokyo/shibuya176.html
本日は、昨日に引き続き、大統領令14199で米国が離脱した国連関連31件のリストの備忘録である。国連関連では、日本は全て参加しているので◯✕などの記号は付記していない。

36:UNDESA/国連経済社会局(SDGsの推進を担当する国連事務局の中枢部門) 37:ECA/国連アフリカ経済委員会(アフリカの経済・社会開発を促進する国連地域委員会) 38:ECLAC/国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(中南米の経済政策研究・統計分析を行う国際地域委員会) 39:ESCAP/国連アジア太平洋経済社会委員会(アジア太平洋地域の同様の国連地域委員会) 40:ESCWA/国連西アジア経済社会委員会(中東・アラブ諸国の同様の国連地域委員会) 

41:ILC/国際法委員会(国際法の法典化と漸進的発展を担う国連総会の補助機関) 42:IRMCT/旧ユーゴ・ルワンダ交際刑事法廷残余機構(旧ユーゴスラビアとルワンダの国際刑事法体の残務処理を担う国際機関) 43:ITC/国際貿易センター(途上国の貿易促進・輸出支援を行うWTO共同機関) 44:OSAA/国連アフリカ特別顧問室(アフリカ開発アジェンダを推進する事務局組織)45:紛争下の子供に関する事務総長特別代表事務所(少年兵の動員禁止・紛争地の子供の保健を推進する国連機関) 46:紛争下の性暴力に関する事務総長特別代表事務所(紛争地での性暴力防止・被害者支援を担う国連機関) 47:子供に対する暴力に関する事務総長特別代表事務所(児童虐待・暴力防止の国際アドポカシー<擁護・代弁>を担う国連機関)48:PBC/平和構築委員会(紛争後の復興・平和構築を支援する国連の政府間諮問機関) 49:PBF/平和構築基金(紛争後の緊急復興支援を行う国連基金)50:アフリカ系の人々に関する常設フォーラム(世界のアフリカ系住民の人権保障・差別撤廃を推進する国連機関) 

51:UNAOC/国連文明の同盟(異文化・異宗教感の対話促進、過激主義対策を担う国連イニシアティブ)52:UN-REDO/国連森林減少・劣化からの温室効果ガス排出削減プログラム(途上国の森林保全を支援する国連プログラム) 53:UNCTAD/国連貿易開発会議(途上国の貿易投資・開発を支援する国連機関)54:UNDEF/国連民主主義基金(途上国の民主化・市民社会支援を行う国連基金) 55:国連エネルギー(国連機関感のエネルギー政策調整メカニズム・SDGsの7推進) 56:UNWomen/ジェンダー平等と情勢のエンパワーメントのための国連機関(2010年設立のジェンダー平等推進、情勢の権利保護を担う国連機関) 57:UNFCCC/国連気候変動枠組み条約(パリ条約の基盤条約) 58:UN-Habitet/国連人間居住計画(持続可能な都市開発を推進) 59:UNITAR/国連訓練調査研究所(途上国の外交官・公務員の研修を行う国連機関) 60:UN-Oceans/国連海洋(国連機関間の海洋政策調整メカニズム) 

61:UNFPA/国連人口基金(家族計画・母子保健等を支援する国連機関) 62:国連通常兵器登録制度(通常兵器の国際移転を透明化する国連の登録制度) 63:CEB/国連システム行政長官調整理事会(国連諸機関の政策調整を行う事務レベルの調整機関) 64:UNSSC/国連システム職員大学(国連職員の研修・能力開発を行う機関) 65:UN-Water/国連水(国連機関の水資源政策調整メカニズム・SDGsの6推進) 66:UNNU/国連大学(日本に本部があるグローバル課題の学術研究・政策提言を行う国連機関/本日の画像参照)

…こうしてみると、国連関連の離脱した組織一覧を確認した時の第一印象は、ずばりSDGsの破壊である。SDGsの総司令部・UNDESA/国連経済社会局からリストが始まっているのでその意図は明らかである。(その理想をたとえ理解できたとしても)国連にまかせておいても無理・無駄という諦観を感じるのであるのだが…。私家的考察は少し間を置いてエントリーしようと思う次第。

2026年1月9日金曜日

米国 反グローバリズムの鐘

激動の2016年年始であるが、トランプ政権が66の国際機関・条約から離脱したニュースは、まさに反グローバリズムの「鐘」をついに高らかに鳴らした、と私は思っている。昨日、その66の離脱した国際機関・条約の詳細を知りたくて、ホワイトハウスのHPにアクセスし、大統領令14199をなんとか和訳しようとしたが、うまく行かなかった。授業が始まった今日、学校で検索していたら、あるHPに詳細が示されていたのを見つけた。

https://dq310.com/ai/2026/01/08/%E3%80%90%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%89%88%E3%80%91%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E6%94%BF%E6%A8%A9%E3%81%8C%E8%84%B1%E9%80%80%E3%82%92%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%81%9F66%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%A9%9F/

この66機関について備忘録的にエントリーしておこうと思う。膨大な資料となるので、本日は非国連機関の35機関のみを扱いたい。内容を記した( )の最後の◯△✕は日本の加盟状況を示している。

1:24時間365日炭素フリーエネルギー協定(2030年までに電力網の脱炭素化を目指すイニシアティブ◯)2:コロンボ・プラン評議会(アジア太平洋地域の経済。社会開発を支援する枠組み◯)3:環境強力委員会/CEC(米・加・墨の環境協力機関✕) 4:ECW/教育を後回しにはできない基金(紛争・災害地域の子供への緊急教育支援基金◯) 5:欧州ハイブリッド脅威対策センター(EU・NATO加盟国が設立したサイバー攻撃。情報戦対策の専門機関✕) 6:欧州国立道路研究所フォーラム(欧州各国のインフラ研究機関の連携フォーラム✕) 7:FOC/自由なオンライン連合(インターネットの自由・表現の自由を守る民主主義国家の連合◯) 8:GCERF/グローバル・コミュニティ・エンゲージメント・レジリエンス基金(過激主義対抗・テロ予防のため、地域コミュニティを支援する国際基金◯) 9:GCTF/グローバル対テロ・フォーラム(29カ国+EUが参加する対テロ制作強調の枠組み◯) 10:GFCE/グローバル・サイバー専門フォーラム(サイバーセキュリティ能力構築のための途上国支援中心の国際プラットフォーム◯) 

11:GFMD/グローバル移住・開発フォーラム(移民政策と開発政策を統合的に議論する政府感対話の場◯) 12:米州地球変動研究機構(南北アメリカ大陸の気候変動・県境研究ネットワーク◯) 13:IGF/鉱業・金属・持続可能開発に関する政府間フォーラム(鉱物資源ガバナンス改善を目指す70カ国の枠組み◯) 14:IPCC/気候変動に関する政府間パネル(気候科学の評価報告を作成する国際機関◯) 15:IPBES/生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(生物多様性IPCCと呼ばれる◯) 16:ICCROM/国際文化財保存修復研究センター(文化遺産保護の技術支援・人材育成を行う政府間機関◯) 17:ICAC/国際綿花詰問委員会(綿花の生産・貿易・消費に関する情報交換と政策狭義を行う◯) 18:IDLO/国際開発法機構(途上国の法の支配教科、司法制度改革を支援する政府間機関◯) 19:IEF/国際エネルギーフォーラム(エネンルギー生産国・消費国の対話プラットフォーム◯) 20:IFACCA/国際芸術評議会・文化機関連盟(各国の文化政策機関が参加するネットワーク△)

21:IDEA/国際民主主義選挙支援研究所(民主主義の強化、選挙制度改革を支援する政府機関✕) 22:国際正義・法の支配研究所(対テロ法執行・刑事司法分野での国際協力推進◯)23:ILZSG/国際鉛・亜鉛研究会(鉛・亜鉛の生産・消費に関する統計・分析を提供する政府間機関◯) 24:IRENA/国際再生可能エネルギー機関(再生可能エネルギー普及を推進する政府間機関◯) 25:ISA/国際太陽光連合(インド主導で設立された途上国への太陽光発電推進の国際枠組み✕) 26:ITTO/国際熱帯林材機関(熱帯雨林の持続可能な管理と木材貿易の促進を目的とする政府間機関◯) 27:IUCN/国際自然保護連合(世界最大の自然保護ネットワーク・絶滅危惧種リストを作成◯) 28:PAIGH/汎米地理歴史研究所(米州機構傘下の地理・歴史・地図作成に関する専門機関✕) 29:大西洋協力パートナーシップ(海洋安全保障・環境保護中心の大西洋を挟む欧米・アフリカ・南米の協力枠組み△) 30:ReCAAP/アジア海賊対策地域協力協定(日本主導のアジア海域での海賊。武装勢力対策情報共有機構◯)

31:RCC/地球協力協議会(バルカン諸国の地域協力・EU統合支援✕) 32:REN21/21せいきのための自然エネルギー政策ネットワーク(再エネ普及状況を政府・NGO・企業が毎年報告する国際ネットワーク◯) 33:STCU/ウクライナ科学技術センター(旧ソ連の軍事科学者を民生分野に転換支援する機関・米・EU・日本が資金拠出◯) 34:SPREP/太平洋地球環境計画事務局(太平洋島諸国の環境保護・気候変動対策支援◯) 35:欧州議会ヴェネツィア委員会(欧州の憲法問題に関する諮問機関✕)

…ICPP(14)やIPBES(15)は高校の社会科でも教える重要な国際的枠組みだと思うが、それ以外にもこんなにも国際組織があったのかと、正直驚いた。日本でも一時期、かなり問題視された官僚の天下り先の関連団体ような感じなのだろうか。私自身は、直感的にこのことを思い出したのだった。

2026年1月8日木曜日

米国のベネズエラ侵攻 考Ⅳ

https://www.youtube.com/watch?v=wn0ozLIXOco
元海上自衛隊のオオカミ少佐のYouTubeは、軍事の専門家の視点でわかりやすく解説されでいて興味深い。今回は、戦争学(=平和学でもある)の視点を中心にエントリーしたい。
https://www.youtube.com/watch?v=wn0ozLIXOco

その前に、1つ重要な情報。アメリカの薬物で最大の問題になっているのは、合成麻薬フェンタニルで、主な流入ルートは中国らしい。コロンビアだけでなく、中国の製品をベネズエラがアメリカに密輸していてもおかしくはない。密輸船拿捕の様子を映したYouTubeも見たが、その中身については、コロンビア産か中国産かは不明である。

さて、国連憲章による適法な武力行使は、1.国連の武力制裁(42条) 2.個物的自衛権(51条) 3.集団的自衛権(51条) の3つである。今回のベネズエラ侵攻は、麻薬流入の問題はあるにせよ、これらに該当しない。アメリカの国内法で裁くのも、国家の主権は平等(2条)という原則に反している可能性がある。総人口3600万人のうち800万人が国外脱出、国内の人々も今日食べることさえままならぬ失敗国家の現状打破には、国際法を無視してもよいのでは、という意見もあることにオオカミ少佐は理解を示しつつ、NOと言う。

国連には、人道危機に陥っても国家がその責任を果たせない場合、国際社会が介入し保護する責任を持つ「保護する責任」(R2P:画像参照)という概念が、ルワンダのツチの虐殺事件などから生まれた。このR2P軍事介入の基準は、1.正当な理由(大規模な人名の喪失・民族浄化への介入) 2.正当な意図(介入国にその他の動機があるかに関わらず、危害を停止・回避するのが目的) 3.最終手段(非軍事的手段以外に成功の見込みがないと合理的に判断される場合のみ) 4.比例的な手段(軍事介入は必要最低限) 5.成功に対する合理的な期待(やったほうがマシと合理的に判断できる) 6.正当な権限(国連安保理の許可と常任理事国が核心的利益が関わっていない場合、大多数の支持があれば拒否権をもたない)であるが、今回のベネズエラ侵攻は、ほとんどあてはまらない。唯一「5」を満たしているかもしれないが、その帰結も不明で疑問符が付くと述べている。なぜなら、R2Pの要件を満たし、カダフィを排除したが、国家再建に失敗したNATOのリビア介入の例もあるからである。

武力の行使は慎重に、かつ大義名分をもってやるべきで、その基準が国際法である。国際法より「力」が優越するようになると、「力こそ全て」の世界が待っている。国際法は国内法と違い、強制的な装置がないためルールでしかない。とはいえ、少なくともWWⅢは起こることはなく、違法な戦争が起きたにせよ、大義名分は掲げられるようになった。ないよりは、だいぶマシなのが国際法。もし、今回の件が許されるのであれば、ロシアのウクライナ侵攻も中国の台湾侵攻も非難できなくなる。

力がなければ道理を問うせないのが国際社会の現実。力を無視せず、力を利用し、理想の社会に近づけるようにするのが、あるべき姿。結論として、マドゥロ政権が悪いこととアメリカの軍事介入が違法というのは、どちらも両立する、とオオカミ少佐は述べている。

…教材研究として、かなり重要な内容だった。国際法を守らねば、「力こそ全て」の世界にもどってしまうというのがオオカミ少佐のNOの意味である。ベネズエラに続き、イランの混乱に際し、アメリカはイスラエルと共闘しようとしている。アラブの湾岸諸国などは支援しそうだが、実態はエネルギー面で、中国の息の根を止める戦略ではあることは間違いない。だが、これはいただけない。理由は、オオカミ少佐の言う国際法体系から見て、ベネズエラ以上に正当性にかけるからである。

…日本の自衛隊は、このような国際法の学びを徹底しているからこそ、専守防衛の崇高なマインドを維持できているのだとつくづく思った次第。

2026年1月7日水曜日

米国のベネズエラ侵攻 考Ⅲ

https://www.youtube.com/watch?v=WR9u2GTd8E8
今回のベネズエラ侵攻で、中国が失ったものは、昨日のエントリー(経済的な問題)だけではないようだ。グアリコ州エル・ソンブレロにあるマヌエル・リオス大尉航空宇宙基地内のベネズエラ宇宙活動庁・衛星地上管制局(画像参照)。中国の国営企業・中国長城工業が建設したもので、巨大なアンテナ群を持っている。その実態は、中国本国から死角となる西半球の軍事衛星の受信に使われている施設だという。いわば、中国軍の西半球の目と耳である。

この施設がアメリカ軍の手に落ちると、軍事衛星の情報収集の内容や技術などほとんどすべてが露呈する。軍事衛星すら自由に動かされてしまうことになる。ベネズエラ政府の今回の侵攻に対する公式文書が”Word2007”で書かれていたという笑い話がSNSで拡散されているが、この施設にもアメリカ企業のIT製品が使われている可能性が高い。その製品番号から密輸ルートまで明らかにされて、中国の面子が潰れるだけでなく、犯罪的行為が白日のもとにさらされる危険すらある。

さてさて、当然、アメリカ軍はこの施設に狙いを定めているだろう。いや、すでにアメリカ軍は、この施設を確保しているかもしれない。中国は、今のところ何も出来ない。なにせ解体間近のベネズエラの軍施設にある政府機関である。例の外交団とともに、ここに駐在する(おそらく人民解放軍の名を騙れない立場にあるだろうと推測される。)中国人も、祖国に帰れない存在となる可能性が高い。今回のベネズエラ侵攻は、一石二鳥どころの騒ぎではない利をアメリカにもたらしたと言えるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=WR9u2GTd8E8

2026年1月6日火曜日

米国のベネズエラ侵攻 考Ⅱ

https://x.com/insupport_2014/status/2008068733512871987
今回のベネズエラ侵攻(画像は強襲揚陸艦イオー・ジマ)が与えた中国への影響についてエントリーしたい。南米における外交拠点の喪失といった政治的な話ではなく、経済的な話である。
参考にしたYouTubeチャンネルは、https://www.youtube.com/watch?v=0BHC6DK1YiUである。

まずは、2007年以降、ベネズエラに累計9兆円の融資(一帯一路でも突出している)をしてきた。これは貸付に対し石油を利子として取るという「アンゴラモデル」の南米版である。ただベネズエラの国営石油会社は壊滅的で、生産量はピーク時の1/3になっており、2兆円以上の元本が焦げ付いている。おそらく、新政権は不当債務の法理(国民の合意なく独裁者が私腹を肥やすために借りたもので、新政府と国民に返還義務はない)で無効化させようとするだろう。これは、「アンゴラモデル」の国々に、極めて重要な示唆を示すものとなりそうである。

最大の被害を受けるのは、中国の経済を支えていた山東省のティーポットと呼ばれる複数の中小・独立系製油所である。国営石油会社が見向きもしないベネズエラ産の(安価:1バレルあたり$10~20やすい)「超重質油」(硫黄分や重金属をたっぷり含んだ扱いにくい原油)を専門に扱っている。サウジなどの品質の優れた高価な原油を生成すると装置が損傷・生産性が低くなるし、大赤字になる。彼らは国家のエネルギー政策で輸入制限を受けているので、マレーシア沖で他の原油と混ぜ合わせ、マレーシア産・アスファルト混合物という名目で工業原料として輸入、関税もごまかしていたようだ。(ルールの抜け穴を見つける天才・中国人らしい。笑)

山東省のティーポットは、今回の侵攻で即時廃業するしかない状態に追い込まれる。ところで、ティーポットがベネズエラ産の原油を絞り出した後の残りカスが、最高品質のアスファルトになる。中国のインフラ整備の供給源が潰れれば、その価格は急上昇し、予算オーバーで地方政府の道路工事がストップする。山東省のティーポットの工場労働者だけでなく建設労働者の失業者がまた増大する。

かつて中国に流れていた日量50万バレルのベネズエラ産石油は、これからテキサスの重質油を処理する能力のある製油所へ向かうことになるだろう。今回の侵攻は、中国経済をさらに窮地に追い込むに違いない。

2026年1月5日月曜日

米国のベネズエラ侵攻 考

https://www.youtube.com/watch?v=KvZbYoRQIKw&t=9s
年末から、強襲揚陸艦イオー・ジマ等を沖合に展開させていた米軍は、ついに3日、ベネズエラに侵攻、極めて短時間でマドゥロ大統領夫妻を逮捕、NYCまで移送した。副大統領がその代わりになったようだが、アメリカは民主的な政府が確立するまで残る、という方針である。ベネズエラの大多数の国民は大歓喜している。本日はこのベネズエラ侵攻を考察しておきたい。参考にした信用できるニュースソースとトランプ大統領の演説内容は以下の通りである。

https://www.youtube.com/watch?v=BC2LxYT_4Go

https://www.youtube.com/watch?v=KvZbYoRQIKw

https://www.youtube.com/watch?v=HjeBeQlPcWw

まずは、国際法違反かという点。NYの裁判所から麻薬取締法違反で過去に訴追された、アメリカが大統領とは認めていない(前回の大統領選挙は、どう見ても不正選挙であった:国家元首免責の国際法に対しての立場)マドゥロを逮捕するための軍事行動であった。逮捕目的なのでFBIも同行し、また戦争ではないので国会の承認を得なくてもよいという、この筋道は一応通っている。(1989年のパナマ侵攻でのノリエガ逮捕に相似している。)

EU・西欧諸国の多くは、国際法違反だとはしつつも、今回の侵攻を是認している。日本は、あえて国際法や軍事行動には触れず、自由と民主主義・法の支配の確立という正義を支持する内容で、EU・西欧諸国よりトランプ支持の色合いが濃い。ロシア・中国・イランなどは当然強く批判している。(画像参照/拡大可能)

次に今回の侵攻の目的について考察したい。コロンビアからベネズエラ経由で、アメリカに麻薬が流れていたわけで、後ろ盾を失った麻薬組織もこれで壊滅させられる可能性が高い。トランプも演説の中で第二波(おそらく麻薬組織の撲滅)の可能性について言及している。マドゥロの逮捕・麻薬組織の撲滅・ルートの破壊が今回の侵攻の最大の目的であるといえる。

ベネズエラは社会主義化の際に、埋蔵量で世界一と言われた油田において、アメリカ企業を追い出して国有化した歴史がある。トランプの演説でもその再建が語られていた。ベネズエラはこの油田の設備投資を怠った故に経済危機に陥っており、国民は極度に疲弊していた。社会主義政権以前のアメリカ企業による経営に戻す、というのが2つ目の目的である。このアメリカ企業による採掘は、現状よりはるかに国民に経済的恩恵をもたらすだろう。

アメリカ国内の治安安定をトランプは演説の中でかなり語っている。麻薬と不法移民の蔓延はかなり深刻だったようだ。中南米の政治的・経済的安定は、アメリカへの不法移民の減少に繋がる。最も厳しかったベネズエラが復興すれば、その影響は大きい。これが目的の3つ目である。

ベネズエラの油田は、多額の融資をしていた中国の支配下に置かれる可能性が高かった。これを阻止したというのが4つ目の理由である。ちょうど、中国の特使がベネズエラを訪れて会談した直後に侵攻が行われたのは偶然ではないだろう。見事なタイミングである。中国特使はマドゥロの位置の特定に一役買ったわけだが、彼らは空路・陸路とも封鎖され、人質になった。ベネズエラ国民からすれば彼らは敵であり、これ以後どうなるかは全くわからない。

この米軍の侵攻は、世界中の独裁者に恐怖を植え付けることになった。やろうと思えば米軍は独裁者を簡単に倒すことができることが、白日のもとにさらされたといってよい。これも5つ目の目的に挙げていよいだろう。実際、北朝鮮はこれに呼応してまたミサイルをぶっ放した。北京もテヘランも怯えている可能性が高い。

さて、これもトランプ演説の中で語られていたベネズエラ国民の独裁者(というより犯罪者)を排除できたことで、もたらされる未来が、6つ目の目的であるといえよう。トランブは、あえて副大統領をそのままにした。国民からすれば、大統領選挙のデモクレイジーで敗北した野党統一候補のゴンザレスに一気に託したかったろうが、アメリカの指示ではなく、国民自らが民主的な選挙で次の指導者を選ぶべきだと考えたに違いない。私はこれを強く支持する。

私は、今回の軍事侵攻が、ベネズエラ国民に大歓喜で迎えられていることを何より重視したい。昔ポール・コリアーの開発経済学の本の中に、デモクレイジーの独裁者を先進国が排除し民主化することを推奨するという記述があったことを思い出した。当時は、植民地を多数抱えたイギリス人らしい発想であると思っていたが、トランプが実現してしまった格好だ。たしかに、これも必要悪かもしれないと思ったのである。