2025年5月25日日曜日

イスラームからお金を考えるⅦ

https://blog.goo.ne.jp/munehemmi/e/e011ec045657fa6733b168c1bdef4b86
「イスラームからお金を考える」の書評、今回は「無利子」について、他の一神教との比較をしながら、これまでの私の見識の中で考察してみたい。

利子の禁止は、一神教の基盤となっている旧約聖書の出エジプト記22章26節「あなたが共にいるわたしの民の貧しいものに金を貸す時は、これに対して金貸しのようになってはいけない。これから利子をとってはならない。」また申命記23章20節「同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も食物の利子もその他利子が付くいかなるものの利子もつけてはならない。」に記されている。

ユダヤ教の律法では文字通り同胞(=選民たるユダヤ人)への無利子を説いているので、異教徒で同胞と認めないキリスト教徒対象の金貸しの生業が発達した。キリスト教徒が利子を禁止していた時代にあって、農業を禁じられた故に幸いしたといっても良い。しかしながら、さらにカトリックも13世紀頃から実質的に認めだし、16世紀にカルヴァンが公式に5%までの利子、ヘンリー8世が10%までの利子を認めた後、19世紀にはカトリックも公式に利子を認めていく。(正教会は教会の慈善活動等以外は原則的に認めていない。ルター派は慈善目的など利子そのものではなく目的に応じて認める姿勢、英国国教会も、経済成長や社会貢献に関する限り禁止していない。)こうしてみると、利子に関しては、その伝統重視の姿勢は、ユダヤ教はさておき、イスラム>正教会>カトリック>ルター派>英国国教会>カルヴァン派という比較ができよう。カトリックの柔軟性と正教会の保守的なスタンスは、この利子という問題でも明らかである。とはいえ、現実の世界では、イスラムも経済活動のため正当化できるギリギリ一杯まで利子的なモノを存在させているわけで、他の一神教でもイケイケというわけではなくとも、事実上認めているわけだ。多神教の世界から見ると、ご苦労なことであるというのが実感ではないだろうか。

次に、イスラム教のスンニー派の大多数・穏健派における隣人観は国家や民族を超えている。(ただし、復古主義の過激派や、教義的対立関係にあるシーア派や政教分離観の強いトルコのクルドとの抗争を除く。)キリスト教圏においての隣人愛(画像参照)はかなり限定的で、国家や民族をイスラム教ほど超えているとは言い難い。ユダヤ教に至っては選民思想があり、他の国家・民族への隣人観は最も希薄だといえる。前述した欧米の既存銀行の「無利子銀行」サービスも、やはり預金者獲得(=利潤目的)の為と受け取っても良いのではないかと私は思っている。

著者は、現在の金融資本主義への批判を長く記しておられ、これからは、イスラムの知恵が有効ではないかと考えておられる。前述したように、比較的長い間書評を止めていたのは、このことに対する私の考察がまとまらなかったからである。

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