2011年5月31日火曜日

教育実習と恩師の話

母校の時計台
本校では昨日から教育実習が始まった。10人以上の実習生が職員朝礼で並んだ。壮観である。保健体育科の実習生が多いのは本校らしい。前任校でも、明日から教育実習が始まる。私のクラスだったOGでK大のN君が社会科の実習生として、弟分のU先生の世話になることになっている。本当は私が世話をしたかったのだが、K君にもU先生にも誠に申し訳ない想いで一杯である。

さて、そういう私も母校で教育実習をしたことがある。(当たり前である。)教科は、倫理社会であった。恩師であるO先生が担当教官だった。O先生にとって私や妻は、教え子1期生にあたる。Nさんと同じK大出の新任で、ハイデッガーの徒であった。
私の教育実習は、初日から授業見学など全くなし。すぐさま授業をやれとのことだった。O先生は最初に1回見に来られたが、ついにそのままである。(笑)教える内容も含め全く自由にやらせていただいた。(私の範囲分の試験まで作らされた。)さらに、政治経済を教えていただいた恩師のN先生に、「俺のもやれ。昼飯を食わせてやる。」と倫理社会に加えて、政治経済もやらされた。毎日5~6時間授業という無茶苦茶な教育実習だった。ちなみに先生方の「指導」など一切なし。お二人とも2週間、大いに羽を伸ばされたハズだ。おおらかな時代だった。(笑)

私は、母校では生徒会をやっていたし、教師に逆らうことも多かったので、ちょっとした危険人物扱いだったようだ。教育実習の挨拶に行ったら、当時の教頭先生に「生徒をくれぐれも扇動しないように。」と釘をさされた。(笑)O先生もN先生も、そんな私をすこぶる可愛がっていただいた。「お前みたいな面白い奴が最近いなくなった。」が実習が終わった後の3人の宴会でのN先生の言である。

N先生は、当時進路指導部長で学校の重鎮であり、まさに豪傑というにふさわしい方であった。「お前、来年卒業したら、うちで非常勤講師をやれ。」と、母校では危険人物である私の大きな後ろ盾でもあった。残念ながら、母校の非常勤講師にはなれなかった。というのも採用試験に合格してしまったからである。「一次試験に合格しました。」と連絡を入れると、「二次は絶対無理だと思うが、まあ頑張れ。万が一合格したら、連絡しろ。俺がなんとかする。」という言葉をいただいた。「二次に合格しました。」と報告すると、「来年の非常勤講師の予定が狂ったやないか!」と怒られた。(笑)

ところで、N先生は、大阪市高等学校教育研究会・社会科部会の長をやっておられたらしい。後に私が社会科部会に始めて顔を出したとき、部会の重鎮のある先生から「君は、部会長を長らくやってこられたN先生の弟子だから、部会で頑張らねばならないのだ。」と諭された。その時、始めて知ったのだった。そういえば、新任の時、挨拶に行って、「生徒会やらの特別活動を頑張ろうと思います。」と言うと、「アホか。教師は授業が命じゃ。いい授業ができん奴はクズじゃ。」とボロクソに怒られたことを思い出す。(これまで4回ほど、社会科部会で研究発表させていただいたのも、そういうN先生の弟子としての存在を全うしたいという意味あいもあるのである。)

そんな豪傑だったN先生も、そして教育実習の時、私の授業を1回見ただけで「最優秀やと報告書を書いといたで。それより、来年非常勤にきたら、いっしょにギリシャ語をやって、アリストテレスの原書を読まへんか。」と誘っていただいたO先生も、すでに鬼籍に入られている。 三十年以上前の話である。

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