2011年5月20日金曜日

言語からオリエント史を説く

ダレイオス1世
来週の月曜日から中間考査である。ホント、世界史を教えるのはずいぶん久しぶりである。オリエントからやるのは、30年前の新任の頃以来である。とはいえ、浅学の私でも、この30年間様々な知識の蓄積があったわけで、それなりの歴史に学ぶ視点のようなものがある。学習意欲に欠ける生徒もいるようなので、あえて今回はだいぶサービスして、出題のポイントをバラしてみた。

まず言語の問題である。4月22日付ブログで書いたように、世界の民族は言語によっておよそ集約できる。意外な言語の地域的分散があったりするのだが、地理ではあまり語れなかった。それは世界史のテリトリーであるからだ。ならば、専門外だが、教えてみたいと、まず世界の言語分布とその構造をやった。私自身は、なかなか面白い。基本的に、オリエントは、メソポタミアを中心に、セム語系中心の世界である。フェニキアやアラム、ヘブライ、アッシリアもセム語である。古代エジプトはハム語系だが、言語学的には近い。オリエント史も、様々な王朝の興亡があるが、構造的には、セム語圏メソポタミアとハム語圏エジプトの綱引きである。オリエントを始めて統一したアッシリアもセム語系である。だが、圧政がもとで崩壊してしまう。ところが、四カ国に分裂した後、オリエントを再度統一したアケメネス朝ペルシアは、インド=ヨーロッパ語族である。ペルシア人とセム語系すなわち現アラブ人は、言語的民族的にはかなり違うのである。
だからこそ、ダレイオスを初めとした懸命なペルシア人君主は、アッシリアのような圧政をしなかったといえる。王の目・王の耳といった監察官を置き、知事を監視する中央集権国家の構造をもちつつも、各民族のアイデンティティをある程度認めていった。彼らこそ、歴史に学んだ最初の人類のように思えるのだ。この「学び」はローマに通ずるものだがある。50を過ぎた世界史の門外漢としては、そんなことを考えるのだ。言語は、世界史理解には、非常に大事ではないか、と思う。

また、オリエント(東方)という呼び名は、世界史がヨーロッパを中心としていることを図らずも露呈していると私は思う。ところが、倫理の教師である私から見れば、ヨーロッパ文明は、かなり単純に言ってしまえばキリスト教的な部分とギリシア・ローマ的な部分から土台が形成されており、そのキリスト教的な部分の大半はユダヤ教、もっと言えばユダヤ教成立以前のオリエントの文明的遺産が土台になっている。シュメールの伝説や、エジプトの死者の書やアケメネス朝ペルシアのゾロアスター教などをやると、それがますます明白になってくる。

さらに、ヨーロッパから見れば、オリエント的な専制君主は誹謗中傷の対象かもしれないが、乾燥した土地で外来河川の治水・灌漑が文明を生んだことを考えれば、当然の帰結である。

「…てなことが今回の中間考査の範囲で私が教えたかったことだ。」と生徒には、もっともっと易しく伝えたのだった。「私は、どこかの問題集から適当に選択して問題を作ったりしない。全てオリジナルである。そのつもりで。」と言うと何人か頷く生徒もいた。嬉しい。倫理と地理が専門の教師が教える世界史B…専門の先生方から見れば、批判もあるかもしれないが、生徒の世界を見る目が少しでも変わればいいかな、と思ったりするのであった。

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