2010年11月1日月曜日

アフリカ日和 その4 マサイ断片

 今日、現代社会でアフリカ開発経済学をやっていて、なんとなくマサイの話になった。私のマサイの話は、だいたいがピーター・オルワ氏や早川千晶さんの受け売りである。(笑)現地で聞いたり、梅田の道祖神での早川さんのセミナーなんかで聞いた話である。生徒は、さすがにケニアの60あると言われる民族の中でも、マサイだけは知っている。マサイの伝統文化は、なかなか面白い。
 マサイは、牧畜民であり、牛を何よりの財産だと考えている。牛といっても日本で一般的なホルスタインのような牛ではなく、こぶのあるセブ―という乾燥に強い牛である。羊やヤギも飼っているが、これは財布代わり。財産である牛を失うことは彼らにとって大きな責任問題である。ライオンに襲われたなら、その責任として、とにかくライオンを一頭仕留めなければならない。マサイの戦士の掟である。2人1組で、ライオン狩りは行われる。マサイといえば、長い槍である。この槍で仕留めるのだが、彼らは絶対に槍を投げたりしない。1人が、ライオンの口に棒を突っ込み、もう1人が槍で突くのである。かなり過激だ。ライオンは、サバナでマサイに合うと目をそらすらしい。(笑)
 ライオンを仕留めたということは、大いなる栄誉である。ある時、イギリスの貴族がマサイの村を訪れ、自分がいかに金持ちでしかも名誉を手にしているかを自慢したらしい。その時、マサイの長老は、こう言ったそうだ。「おまえは牛を何頭持っている?俺は200頭だ。」「お前は、何頭ライオンを仕留めた?俺は2頭だ。」イギリス人貴族は、牛を持たず、ライオンも仕留めた事がなかった故に、長老にこうたしなめられたという。「なんだ、大したことないな。」
 マサイの三種の神器を早川さんに教えてもらった。それは、懐中電灯、ラジカセ、そしてスニーカーである。あれから5年ほどたつ。今は携帯電話が入っているかもしれない。早川さんに言わせると、「よくわからないんですね。マサイにもいろいろいます。学校を出て、ビジネスをしているマサイもいるし、自転車に乗ってるマサイもいるし、伝統文化を守るマサイもいるし…。」ということになる。マサイの成人儀式(戦士になる儀式)の話も聞いた。長老の命で、マサイの戦士は過酷な試練に挑戦する。ピーターは、もし、独立戦争の時、マサイが権力を求めていたら、ケニアはマサイのものになっていたに違いないと言っていた。マサイは、ライオンだけでなく、他の民族にも畏怖されているのだった。彼らは、そうはしなかった。権力よりも牛が大事だったのだろう。だから、彼らは、マサイマラ(ケニアの国立公園)とセレンゲティ(タンザニアの国立公園)の間にひかれた国境線など関係なく暮らしているらしい。<今日の画像は、ケニア視察の時、友人のM先生が超望遠で撮ったマサイの写真である。まだ羊やヤギだけで、槍も持てず、牛の放牧を任されていない少年だ。だが、視力4.0の彼らは、写真を撮られたことに気づいている。戦士でなくとも、この存在感がマサイなのである。>

追記:今日は、OGのE君が、来年3月からのアメリカ留学の書類を取りにやってきた。着実に頑張っているようだ。国際金融学をやっているそうな。「援助じゃアフリカは発展しない」を知っていた。さすがである。最近は、ほとんど英文を読んで英文で書いているそうである。大したもんだ。退職されたU先生が聞かれたらさぞかし喜ばれると思う。

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