2010年11月28日日曜日

統帥権の近現代史への影響Ⅱ

ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世
 統帥権の話の続編である。伊藤博文が、憲法の草案づくりのために留学した際、ドイツ皇帝に食事に招かれた。その際、皇帝は、議会に予算編成権や軍事権を渡してはならないと(伊藤と日本に対する好意から)意見したといわれる。大日本帝国憲法は欽定憲法となっているが、自由民権運動の高まりの中、土俵際に追い詰められ、ついに制定されたと言った方がいい。そんな状況下で、伊藤は予算編成権は議会に渡したが、軍事権(統帥権)は天皇のものとしたようだ。
 
 ところで、ドイツ皇帝はバリバリの専制君主であったが、日本の天皇はどうか。このあたりかなり政治的な思惑が錯綜する話題なので、慎重にならざるを得ないのだが、私は専制君主であるとは思っていない。昔から「玉」と称され、一種のブラックホール的な性格を持っているという山口昌男の天皇論に近い立場である。今の生徒諸君は、当然天皇について、ほとんど知らされていない。昭和天皇の生活などを紹介して、少しでも興味を引く。皇太子時代の渡英以来、朝食はパンだとか、パジャマを着ておられたとか、日本人初のゴルファーだとか。同時に、大みそかの四方拝など、日本中の神主の頂点に立っていることや、新嘗祭などに見られるように日本農民の頂点に立っていることなども語る。日本の天皇は、宗教的な存在、象徴的な存在でもあるのである。うーん、社会科教師として、政治色を抜くのは極めて難しいところである。

 このドイツ皇帝と日本の天皇の性格の相違は、大きいと私は思う。その専制的でない天皇に、統帥権が設定されたのである。日清戦争や日露戦争では、統帥権はうまく国民皆兵制度とともに作用したようだ。(もちろん、あくまでガバナンスとして私は論じている。)しかし、この統帥権が「玉」のモノであるがゆえに、軍に利用されていくのである。
 …今日は所用が控えているので、さらに”つづく”ということにしたい。

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