2010年11月13日土曜日

BLACK GOLDと構造的暴力

 今日は、前から楽しみしていたアフリカ映画祭に行って来た。大阪国際交流センターとJICA大阪の主催である。修学旅行の前日が第1回目だったのだが、大事をとって行けなかった。今日は、第2回目である。映画は、”BLACK GOLD”というエチオピアのコーヒー生産業の連合会会長を中心に、いかにコーヒー業界に「構造的暴力」が存在するかを扱ったドキュメンタリーである。2006年製作の作品であるようだ。コーヒーの国際価格(その中心となるのは、NYとロンドンの先物市場である。)の下落によって、エチオピアのコーヒー農家は、追い詰められ、連合会会長はフェアトレードを、先進国に訴えて歩いているのだが、現実は極めて厳しい。今日の画像は、その”BLACK GOLD”のHPのフォトギャラリーからお借りしてきたもの。彼女らは、悪い豆を選別しているところである。彼女らの1日の賃金は日本円にして約50円(今なら40円)というところである。もちろん、1kgのコーヒー豆の値段も私が考えていた金額よりさらに安い。ただこれは製作された2006年の話なので、あえて書かない。このような第一次産業の生産品は大きく値が動くからである。この映画で紹介される生産農家は、商品作物たるコーヒーだけを生産し、現金を得て暮らしている。この映画を見ると、まさにアフリカは、プランテーションで生きているかのように見える。現実は違うので、注意が必要だ。この映画の訴えたいところは、生産価格があまりに低く、栽培農家は著しく疲弊している。飢餓さえ起る。先進国は、利益を独占し、飢餓のエチオピアに食料援助を行っている。ならば、妥当な生産価格を支払い、ファトレードすればいいではないか!という訴えである。
 私は、フェアトレードについては、よく理解しているつもりでいる。ただ、グローバリゼーションの自由貿易がさらに進行する中で、この論理、いささか現実的には不可能のように思えてならない。たしかに、先進国の「構造的暴力」がまかり通っている。その構造に楔を打つことは賛成であるが、個々の生産地で、先進国の一部の「良心」と結び、この自由競争を回避するだけでは、問題は解決するとは思えないのである。
 この映画は、そういう意味で、構造に楔を打ち込むという意味合いを、ある程度持っていたと思う。結局のところ、地球市民的な意識のみが、この構造を飼いならすことができるような気がするのである。<BLACK GOLDのHP http://www.blackgoldmovie.com/

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