2010年11月6日土曜日

小説:山椒魚戦争のリアリティ

 カレル・チャペックの『山椒魚戦争』をやっと読み終えた。「アフリカから学ぶ」があまりに面白くて、つい読んでしまうはめになって、さらに遅くなったのである。では、『山椒魚戦争』は面白くなかったのかと言われると、これが面白いのである。ただ、岩波文庫で字がすこし小さめなうえに、この小説は脚注や割注が多いので、さらに字が小さくなっていて、老眼の身には辛かったのである。(笑)この小説は、前に述べたが、佐藤優の獄中記(岩波現代文庫)の終りの方(P436)にある外務省の後輩へのメッセージの中で読むことを勧める文章がある。あらすじや、佐藤優の印象に残った箇所などを示した後、「この本を読めば、ロシア、ウクライナ、そしてヨーロッパのインテリと話をする時のいい材料になる。」と結んでいる。と、言うのも、カレル・チャペックは佐藤優の本来の専門であるチェコの作家であるからだ。
 あらすじを、私なりに書いてみたい。時間設定は、きっちり書かれていないが、この作品が新聞で連載(実際の掲載はナチによるチェコスロバキア併合の2年前)されていた第二次世界大戦前。インドネシアで、山師的な船長が知恵のある山椒魚を発見し、彼らに真珠を取らせることに成功する。やがて、その船長は故郷のチェコ在住のユダヤ人実業家に、山椒魚を利用したビジネスをもちかけ、それが、やがて国際的に大きく発展することになる。山椒魚は、護岸工事や埋め立てなど海中の仕事をこなすようになり、サメなどから自らを守る銃を身につけ、人間の作った爆薬類を使用できるようになった。このビジネスは飛躍的に拡大し、山椒魚を増やすビジネス、あるいはその食料をまかなう農業ビジネス、工事用のあらゆる工具・爆薬などのビジネスも生まれ、世界各地に飛躍的に拡大するのである。一方、この知恵をもち、言葉(英語である:英語が最も単純な言語だという揶揄だと受け取れる。)を話す山椒魚の存在を、ある者は認め、教育を施し、彼等の権利を主張する。一方あくまでも家畜の範疇に収めようとする者もいた。やがて、山椒魚は飛躍的に増加し、彼ら自身が生存するために、人間と戦わなければならない状況に追い込まれる。イギリスを中心とした反山椒魚国家は、ついに山椒魚の要求を入れないゆえに戦争となる。戦争は、結局山椒魚側の勝利に終わり、地球上の陸地は、彼らの優れた土木技術によって、多くの土地が破壊され海となり、海岸線が莫大に伸びることになる。内陸国チェコに住む、山師的船長とユダヤ人企業家のアポをとった老人が、身近に山椒魚を見て、ここも海になるのかと絶望するところで、この物語は終るのである。

 この小説、もちろん全てフィクションなのだが、妙にリアルなのである。世の中には、様々な考え(ここではかなりヨーロッパの臭さを感じる)をもつ人びとがいる。彼らが、このリアリティのないストーリーの中で、彼らの主張を展開する。それが面白い。もし現実ならこういう人が出てくるだろうと妙に納得するのである。面白いのは(本当は面白くないのだが)、日本や中国の扱いである。山椒魚戦争の直前、山椒魚側の弁護士とヨーロッパを中心とした首脳会議では、日本を明らかにアジアの一等国としてヨーロッパのモノマネをする自分の意思のない脇役と設定している。また中国にいたっては、戦争回避のため、山椒魚に割譲する土地として中国中部を提案している。中国代表の異議申し立てなど、誰一人聞こうとしなかった。日本の福建省だけは日本の権益があるのでダメだという反対には耳を貸す。山椒魚側の弁護士は、中国代表が話続けてけているのに、こう述べる。「我々は、日本にその代償を金で支払う用意がある。問題は、中国を抹殺する作業への謝礼として関係諸国は何を用意するかだ。」

 このえげつないリアリティ。外務官僚に佐藤優が読むよう勧めた理由がここにある。外交とは何か。政治とは何か。社会思想とは何か。人権とは何か。また科学とは何か。そして資本主義とは何か。様々な問いかけを、読む者に矢継ぎ早にしてくるような小説であると私は思う。

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