2023年1月8日日曜日

旧オランダ領の教会 NY・NJ

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/082800984/
「アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質」のエントリー第7回目。1609年、スペインが手を引いたので、オランダが現在のニューヨーク州(NY)に入植した。ニューネーデルランド植民地である。1616年現在の州都オールバニに毛皮取引の砦が出来、1626年には現マンハッタン(ニューアムステルダム:画像参照)に町ができた。オランダ西インド会社が経営していたが、出資者はカルヴァン派(ゴイセン)である。1650年代には西インド会社が手を引き、自由に農業や毛皮取引ができるようになった。人口が増え、ネイティブ・アメリカンと衝突したり、1638年からデラウェアに入植してきたスウェーデン人を攻撃したりしていたのだが、1665年英蘭戦争で、ニューアムステルダムが占拠されイギリスが、南部・北部についで中部も植民地としたわけだ。

イギリス統治が始まった頃のオランダ人人口は40%ほどで、様々な国の出身の集まっていた。オランダ人の改革派教会は当然カルヴァン派であるが、二分される。貿易に従事する富裕層はイングランドやスコットランド移民と結婚した。貧困層はオランダ改革派に忠実だった。1685年から、カトリックのジェームズ2世が圧迫を強めた。(ハプスブルク家の支配以来)散々苦しめられたオランダ人は激しく反発するが、幸い名誉革命が起こった。この時、ジェイコブ・ライスラーが新政府樹立を宣言するが、反逆罪で処刑された。彼を支持した人々は、1690年以降、ニュージャージー(NJ)に移る。1695年、ニューヨークのオランダ改革派教会は特許状を受けたが、その2年後、国教会が正式に認められ、国教会の費用を改革派の人々も税金で支払わされた。オランダ人は次第に懐疑的になっていく。ニュージャージーでも、オランダ改革派内でも分裂が起こる。敬虔主義(マサチューセッツの会衆派に近い)と裕福なエリートの多い在来派が対立、後に敬虔主義の人々がリバイバル運動に突き進んでいくことになる。

ちなみに、ユダヤ人が、ブラジルから1654年ニューアムステルダムにやって来た。オランダ政府は、本国に強力なユダヤ人コミュニティがある故、礼拝の集まりを認めた。ニューヨークとなった後、イングランドも同様に認め、1703年に最初のシナゴーグがポルトガル系の人々によって建設された。人数は少ないままだったが、フィラデルフィアにもユダヤ人が住み始めた。

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