2023年1月5日木曜日

植民地時代の教会 MA

https://maonline.jp/articles/corporate-governance10?page=2
「アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質」のエントリー、第4回目である。前述の北部の植民地における教会について。1620年、ピグリムファーザーズと呼ばれるピューリタンの分離派の人々が、プリマスに上陸した。と書くと前述の「プリマス会社」の植民のように思うが、彼らはロンドン近郊のスクルービという小さな農村の資産のない人々で、最初オランダに向かったが困難が絶えず、ロンドン会社に出資者から集めた資金を渡し入植許可を得た。しかし、メイフラワー(この名前のホテルに初渡米の際、宿泊したことを思い出す。)号は、管区外の北部の地に到着したのだった。
聖徒以外にも現地で労務に携わる人々もいて、イングランドの統治の及ばない無法地帯に上陸するにあたり、全員で「メイフラワー契約」を結ぶことにした。「皆で世俗の政治体をを構成し、服従することを契約する。」という社会契約(アメリカ合衆国憲法の先駆と言われる。)を結んだ。知事と副知事が治め、フリーマン(参政権を持つ人々:教会員も非教会員も含む)による総会が議会に発展した。やがて、人数が増え10の町ができた。教会は分離派のピューリタンのみであったが、牧師はいなかったので、のちの会衆派の原則で運営されていた。その後、もっと多くの人口をかかえるマサチューセッツ(MA)植民地に吸収された。

1629年に特許状を受けた「マサチューセッツ湾会社」によって、ピューリタン・2万人の大移民が続々やってきた。彼らはイングランドが神と結んだ契約の道から外れてしまったので、新たな契約を新大陸で結び直すために、誰の領地でもプランテーションでもない「タウン」を、「フリーマン(公民)」が契約を結んで創設した。最初に教会、法律、学校が備わり、牧師、行政職員、親、教師、農民らが協働して聖なる共和国を作り上げようとしたのである。

マサチューセッツ植民地のカルヴァン派は、普通のカルヴァン派と違う点が追加された。それは、「回心(神が直接、ある個人に対して働きかける霊的な体験)」を教会の会員資格の要件としたことである。この資格は選挙権も兼ねていた。回心体験がないと社会のまともな構成員とみなされないわけである。これは、カルヴァンの予定説に基づいている。1648年、マサチューセッツのケンブリッジで「シノッド」(教会の代表者が集まる総会)が開催された。ここで、「ウエストミンスター信仰告白」(清教徒革命時に、カルヴァン派の牧師12人が国教会改革のために作成した文書)に合わせて、厳格なカルヴァン派の信条が採択され、教会は長老派ではなく、会衆派のやり方をとることに決した。またシノッドは個別の教会対して権力を持たず精神的な指導を行い、各教会の役員に権限があることを明言した。

当時、マサチューセッツ植民地の一部だったコネチカット(CT)では、回心や教会の正会員であることと選挙権を結びつけてはいなかった。すでに教会の多様性が芽生えていたのである。

この回心の問題は、幼児洗礼と関わって大きな問題となる。回心した親の子は洗礼を受けれるが、乳幼児死亡率が高かった当時、洗礼を受けずに死ぬと救われるチャンスはなく永遠の炎で焼かれると信じられていたからである。1662年、シノッドで、回心していない親の子供もキリスト教徒として正しく暮らしていれば、幼児洗礼を認めると決定した。

…この洗礼の問題について、著者の橋爪大三郎氏が本書で詳しく書いている。次回のエントリーに続く。

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