2018年10月24日水曜日

内田樹 新潮45休刊の本質論

某国大統領にオシッコをさせる 芸術家がNY・ブルックリンに5つ置いた作品
http://news.livedoor.com/article/detail/15481569/
内田樹先生の「新潮45休刊について」という記事を読んで、まさに本質を突いていると思った。杉田某や小川某の言論は、言論とは言えない。同じ主義主張をもつ身内を想定して書かれたものである。本来、言論というのは、身内限定に書かれるべきではない、と内田先生は主張している。自然科学の論文のように、懐疑的な読者を前提にしてなおかつ情理をつくして説くというルールを忘れてはならない。身内以外の読者が読んでも、共感も同意も出来ない読者が読んでもなおリーダブル(読みやすい、面白くてスラスラ読めるなどの意)なものを書く以外に新たな読者を獲得する手立ては存在しない。
http://blogos.com/article/333627/

要するに、新潮45休刊は、内田先生のいわれる”ルール”を甘く見た結果だと、いうわけだ。身内以外の読者が傷ついたり怒りを感じたりする読者がいるだろうことを想定していない。これは、政治家が調子に乗って発言し、嵌りやすい罠であろうと思う。杉田某の政治姿勢はあまりにポピュリズム的だ。身内に受ければ良いと過激な発言を繰り返すような幼稚な政治家を私は好まない。

これは、あまりにも小さな存在だが、私のブログにもいえるかもしれない。出来る限り、様々な立場を想定して書いているつもりだ。このBloggerは世界に発信している。そのうえで読む方を傷つけたりすることのないよう表現や引用には気をつけているつもりだが、まだまだ甘いかもしれない。

とはいえ、小学5年生・15点男の某国大統領については遠慮する気はない。この数日だけでも、INF離脱。トランスジェンダー(某国では140万人と言われる)への性別変更不可。この人物は、身内しか相手にしていないようだ。いや、できないのだと私は思う。深い思慮や品位を全く感じない。私の美学の対蹠点にある。地球市民として、持続可能な社会をつくるためには、批判を続けることが必要だと思う。

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