2017年3月23日木曜日

ツチヤ教授の哲学講義を読む。

日本人会のロビーでRM1の文庫本を大分前に何冊か購入した。やはり文庫本はズボンの後ろポケットに忍ばせておけるし、ちょっとつかの間の読書にも適している。何冊か併読してる中に、文春文庫の「ツチヤ教授の哲学講義」(著者は土屋賢二お茶の水女子大名誉教授)がある。たまに哲学系も読んでおかないと基礎的な学力が下がるかな、と思い、購入したわけだ。

最初少し読んだだけで、ツチヤ氏はウィトゲンシュタインの徒であることがわかった。この辺は、一応専門家のはしくれなのである。さて、この本は、大学での講義をそのまま本にしたような話し言葉で哲学が語られている。それがなかなか新鮮である。まだ完読したわけではないが、私は第3章のプラトンとアリストテレスの比較のところが面白かった。ウィトゲンシュタインの立場から、プラトンとアリストテレスの哲学の相違を、こう述べてある。

プラトンは、未解明な部分を残さないような答え方をしないと「なぜか?」という問にちゃんと答えたことにならないと考えているわけです。それに対し、アリストテレスやぼくらは、完全に解明していなくても、説明のつかない部分がいっぱい残っていても(中略:具体的な原因を挙げるかたちの)答え方をすれば「ちゃんと答えた」とみなしています。だから、プラトンとアリストテレスは、「なぜか?」という問題にちゃんと答えるとはどういうことかという点で対立していると言ってもいいんです。

ここでは、プラトンのイデア論と、アリストテレスの形相因・質量因・目的因・起動因の話がなされている。ウィトゲンシュタイン的視点だとこういう話になるのかと深く納得した次第。学生の間に、読んでおいて損はない本だと思うのである。IBTの留学生にとっても、教養課程の哲学より、意外に読みやすいかもしれない。

追記的に、こそっと報告しておきます。昨日59歳になりました。と、同時にわが友、ケニア人のピーター・オルワ氏の命日でもあります。もう何回忌になるのだろうと思います。未だにピーター氏がこの世にいないとは思えないのですが…。というわけで、毎年、あんまりハッピーなバースデーではないのです。もう、誕生日がめでたい、という歳でもありませんし…。

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