2017年3月16日木曜日

40年前の私が考えていた事

3月16日は私にとってのある記念日である。その記念日となった40年前の私は何を考えていたか?を書こうと思う。40年前というと、ちょうど大学1回生の終わりである。高校時代、哲学青年のマネをしていた私は、1冊の本と出会った。梅原猛の「哲学の復興」という講談社現代新書である。この本に記されていた内容に大いに衝撃を受けた。それは、近代哲学の問題点の指摘、特にデカルトの二元論的な近代科学への批判と、東洋思想、就中、仏教思想の優位である。それまで、私は、大学では西洋哲学をやろうと思っていたのだが、この本を読んで大きく風向きが変わった。

当時は、まだまだ全共闘世代や新左翼が元気だったし、社会思想では、やはりマルキシズムが主流だった。実存的思想としての仏教は、社会思想としても優位でなければならない、そう信じていた私は、「サヨク」に代わる社会思想としての仏教を指向していたのだった。実存的な自己変革による社会改革、みたいなことを稚拙ながらも、漠然と指向していたのだった。当時の学生は、私だけではなく、まだまだ社会変革に夢を抱いていた時代だったのだ。

以来、40年。この時の思索は今なお自分の中で息づいている。マルキシズムは、この間に大きく後退していった。他の多くの社会思想も混迷の度を深めていて、新自由主義的な経済思想が重視されるにいたって、大きな経済格差をうみ、政治的にはナショナリズム的なポピュリズムに変化している。

大乗仏教による平等観は、平等大慧、全ての人は仏の因を内在していると説く。これほどの分かりやすい平等観、しかも社会思想となる理論があろうか、と思う。同時に仏故に、六道輪廻(様々な苦悩)からの自由を得ることが可能な存在者なのである。西洋哲学的な自由の概念を超越した自由である。仏教に於いては、自由と平等は二律背反しない。

40年間、様々な哲学・思想・宗教を学んできたが、やはり仏教が優位にあるというのが私の結論だ。仏教は、理論であるとともに実践論である。この優位さは、身近な生活の一場面から、世界的な視野からみた社会思想としての深い可能性までの全てをを秘めている。ブティストとして、その理念をアイデンティティとして生きる道を選んだ私は間違っていないと思っている。

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