2025年11月14日金曜日

社会科学習とコロナ禍の影

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/218009/051700045/
学院の社会科教員Y先生との会話の中で、社会科学習にとって重要な時期は、小学校の高学年と中学時代の基礎的な事項の学びではないか、という話になった。たしかに、私自身の経験からも、この時期に詰め込んだように思う。今だに地理の国名や首都名、日本の県名や県庁所在地、主な山脈や岬名等は、小学生時代にに完全に頭に入れたし、日本史や世界史、政治分野のおよその流れもこの時期にインプットされている。

中学時代は、社会科好きの友人がいて、朝日年鑑などを読み合って背伸びして難解な用語を頭に入れたりもしたものだ。

ところで、今の高校生の年代は、この重要な時期、コロナ禍の影響をモロに受けた年代であるのかもしれないとY先生は言われる。なるほど…。偏差値は決して低くないのだが、意外に一般常識的なことを知らないことが多い。高校の社会科は一気に学習内容が深くなるのだが、その基盤が形成されていないように感じるというわけだ。

コロナ禍の時期は、学習をサボろうと思えばサボれた時期だ。学ぶ意識が高ければ自学自習できただろうが、コロナ禍に流された可能性は高いと私も思う。

…この会話の後、私はM高校に視察に来た中国の社会科教師のことを思い出した。彼は、文化大革命時代(画像参照)に学生生活を送った故に、英語を学ぶ機会を失い、一切英語が話せなかったのだ。日本視察を命ぜられるほどの教師であるのに、簡単な会話でさえ不可能で、さすがの私もコミュニケーションを取れなかったのだ。まさに、世代的悲劇である。コロナ禍は小さな文革といったところだろうか。

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