2025年11月28日金曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録3

https://artmuseum.jpn.org/mu_sokurates.html
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第3回目。第2章の古代哲学の続きである。

ポストモダンとは、すべてのものは相対的だということなので、詭弁に等しいと佐藤氏は断じている。「丸い四角を書きなさい」といったことは神にできないことの1つである。神にもできないことがあると中世に議論になりました。命題事態がナンセンスなものは、神にも回答や実行は不可能である。だから神は行わない。ただ、こうした内容も論理として整理するのは、なかなか難しい。(P45-46)

…「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)のポストモダン批判と、佐藤氏のプロテスタント神学との共通点として私はこの記述を捉えた次第。

面白いのは、ソクラテスの死にまつわって、裁判員制度の話が出てくる。殺人や放火などの重罪のみ、量刑も決める裁判員制度はいかがなものかというわけである。裁判員制度が本来に馴染むのは、特捜事案、政治家などの犯罪についてこそ国民目線が活かされるのではないか、また国民の義務にしているのも問題だというわけだ。(P50-51)

…これには同意。未だ私に裁判員に、という指示は来ていないのだが、素人が重大な犯罪の量刑にまで踏み込むのは、やはりなじまない。特捜事案こそ活かされるというのは賛成。ただ、素人なりに政治的なスタンスが絡むので難しい面もあるだろうが…。

「悪法も法なり」という普遍的な規則にしたがってソクラテスは死んだとなっているが、佐藤氏は、当時のギリシアの身体論(魂と牢獄としての肉体は別々)から、解放である死は怖くなかったのではないかとしている。死生観は変化するものだというわけである。(P51-52 )

…NYCのメトロポリタン美術館で、ダヴィッドの「ソクラテスの死」を見た。かなり大きな絵画で、圧倒された。ソクラテスは、たしかに恐れることなく毒杯を飲もうとしていたのだった。こういう視点も実に勉強になる。

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