2017年3月12日日曜日

「ヨブ記」を読む動機

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今、「ヨブ記」(浅野順一著/岩波新書693青)をシーク教の本と併読している。登校中のバスでの読書が多いので、なかなか進まないが、いずれ書評をエントリーするつもりでいる。なぜ「ヨブ記」を読もうと思ったのか?まずは、その動機についてエントリーしておこうと思う。

多民族国家マレーシアにあって、特にマレー系のイスラム教徒の人々と中国系の人々のあまりの相違に愕然とすることがある。

我々日本人にとっては、中国系の人々のスタンスの方がわかりやすい。彼らは現世主義だ。先日の中国系の旧正月でも、カネが儲かりますようにという「招福」の願いが、充満していた。日本でも、恵比寿など「商売繁盛」の信仰はあるが、それ以上にストレートである。彼らは、現世の幸福の追求に余念がない。だから勤勉でよく働く。日本人も勤勉だし、現世の幸福を求めるが、同時に「恥の文化」があるので、「カネ」「カネ」と言うのは美しくないという流儀みたいなものがあるが、彼らにはそういう遠慮はない。極めてストレートである。道教寺院もマレーシアには数多い。フードコートには必ず祠がある。住処の近くで車で商売している「鴨爺爺」は、閉店して帰るとき、必ず同じ場所に供物と線香を置いて帰る。

それに対して、マレー系の人々は、そういう現世的な利益を全くといって良いほど求めている気配はない。彼らの信仰するイスラム教における現世利益的な教えはどうなっているのか?それを知る手立てとして私が選んだのが、同じ一神教のユダヤ教の旧約聖書の諸書にある「ヨブ記」なのである。ヨブは、極めて敬虔に神に仕え、財産も持ち人格者であった。そのヨブが、神によって一気に不幸のドン底に落とされる話がヨブ記である。イスラム教では、25人の預言者を認めている。アダムやノア、アブラハム、イサク、モーセ、さらにユダヤ教の預言者や、ヨハネやイエスも入っている。ヨブもその中に入っている。

このヨブ記を読むことで、マレー系ムスリムの人々の現世利益観を理解する一端になれば、という思いが私にはある。多文化共生をはかるマレーシアにおいて、マレー系と中国系の宗教的「現世観」の相違は、極めて重要な問題であるように思うのだ。

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