2016年11月6日日曜日

「わが心のヒロシマ」を読む。

2週間ほど前になるだろうか。F先生から、「この本をご存知ですか?」と言われて手に取ったのが、「わが心のヒロシマ」(オスマン・プティ著/勁草書房)であった。初めての本なので、「いやあ、読んでいませんが…。」と言うと、「実は、この本は前社長(マレーシアでは学校法人という概念がないので、IBTも会社組織なのである。)が皆に是非読んでほしい、と託されたもので、私が読んでから、ずっと保管していたものなのです。先生、次に読んでいただけますか?」

IBTの前社長は、私が来馬する前、病状が悪化して日本に帰国された。辞任にあたって、一度だけご挨拶に見えたので、その時にお会いできたのだが、なかなかの人物だ、とすぐに解った方だ。その方が是非、と言われた本なら読みたい、そう思って喜んで預からせていただいた。

この本は、ラザク氏という、日本語を学んだマレー人留学生が、戦時下に来日し、東京大空襲や広島での被爆体験を弟子の作家・オスマン・プティ氏がまとめ、マレーシア語で出版されたものを日本語に翻訳したものだ。前社長は、IBTの使命、すなわち日本とマレーシアの架け橋になるような人材育成と深くかかわるが故に、この本を託されたのだろうと推察された。

この本の読後の第一印象は、ラザク氏が占領地・マレーの留学生として来日するのだが、そういう被害者的な歴史認識が存在しないこと。おそらくそれを支えている美しい日本と日本の人々への好感である。日本の悪口は一言も出てこない。ラザクさんは純粋に、教師となるために学びたかったのだ。それを多くの日本人が支えてくれたという恩情が強い、ということだと私は思う。

次に、戦時下の体験である。東京大空襲の時、B29に迎撃に向かった戦闘機がカミカゼ攻撃するシーンがある。多くの東京市民が涙し、ラザク氏も衝撃を受ける。私も強い衝撃を受けた。私は、その背景にあるものの是非はさておき、「葉隠」的な日本の精神を感じる。

そして、被爆体験である。ラザク氏は幸運にも生き延びることができ、多くの人々を救おうとする。生半可な言葉では表せない悲劇がそこにある。

寮母の行方を懸命に探しながらも、家の下敷きになっており救い出せなかった悔み…。水を求める人々に、水を与えると死んでしまう話。ニワトリを潰して、食料を得ようとするも、釘で「アッラー、アクバール(神は偉大なり)」と唱えて何度も刺したが、ニワトリは死なず、そこにいた多くの被爆者とともに翌日硬直して死んでいた話…。

元社長が託されたこの本は、予想どうり、極めて重い内容であった。マレーシアの青年をその後も日本に送り続けた教育者ラザク氏の温和な人柄の奥底にある深い悲しみ、それを乗り越えてきた強さと教育への情熱、そして日本への限りない好感の情。いい本だった。EJU(日本留学試験)一週間前である。決意を新たにした次第。

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