2015年9月17日木曜日

ハンガリーの国境封鎖考

ハンガリー国境のフェンス http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2588988.html
ハンガリーが難民の大量流入に困り果て、国境封鎖を行っている。難民は、セルビアからクロアチア経由でドイツに向かっているようだ。幸い、クロアチアは、難民の通過に好意的である。このハンガリーの難民対策に、国際的非難が集まったが、私は東欧諸国の立場も理解すべきだと思う。

2013年度のIMFの統計では、ハンガリーのGDPは、世界平均の1.3倍、EU平均の40%。決して豊かだとはいえない。人道的な行為として、精一杯難民の通過を許したのは当然としても、経済的な負担は大きい。限界にきたのだろう。

ここで、問題になってくるのは、シリア難民を生んだ責任の意識の問題である。今回の大量のシリア難民を生んだ原因はいくつもある。歴史的な逆走して探ってみると、シリア内戦。ISの出現。その前身ともなったイスラム武装勢力。アサド政権の問題。ここに基地をもつロシアの支援。アラブの春。イラク戦争を行ったアメリカ。追随した西側諸国。さらに逆走すると、パレスチナ問題。結果的にシオニズムを後押ししたホロコースト、WWⅡのナチス=ドイツの存在。WWⅠ終了後の英仏のサイクス=ピコ協定。ドイツの3B政策…。

ドイツ、イギリス、フランスの責任は、世界史的に考えても大きい。ドイツが積極的に難民受け入れを行おうとしているのは、これまでの歴史認識という観点からも正しい選択であると私は思う。労働力不足を補いたい、あるいはユーロによって輸出が有利になり経済が好調なこともあるだろう。しかし、”個人”として、特に中東に対して贖罪的行為をするべきであるとの思いが、ドイツを動かしている”絶対精神”のように私は感じる。

それに対して、フランスとイギリスは、すでにムスリムと様々な軋轢があることで及び腰である。これも理解できないことはないが、そもそも中東の線引きをしたのは、この2カ国である。不思議に、この2カ国への歴史認識的批判はいつも大きくならない。近くは、アメリカのブッシュ時代の失政も大きいが、アメリカは、大西洋を挟んでいることもあって、沈黙している。実に都合のいいモンロー主義の再来だ。ロシアにいたっては、難民の方が忌避している。

東ヨーロッパ諸国は、これら中東の諸問題に大きな責任を負っていない。贖罪する必要を認めていないと私は思っている。ハンガリーはカトリックが主でカルヴァン派もいる程度である。多民族国家ではあるが、主たるマジャール人の比率はかなり大きい。どうしても内向きになる。まさに迷惑な話なのだろう。これは理解できる。

先日、ポーランドのワルシャワで、イスラム移民排斥のデモに出会った。ようやく経済が軌道に乗ってきたポーランドも、ハンガリー同様、単一民族国家に近い。しかもWWⅡでは、完全なドイツの被害国である。多文化共生を強制するのは酷かな、と私は思ってしまう。EUがこの難民受け入れでまとまらないのは、当然のことである。各国が抱える歴史的な経過、経済状態、国内の状況、実に様々であり、ステレオタイプにEUを論じるのには無理がある。

責任を取らねばならない過去をもつ国から、責任をとる。私はそれが妥当な道のような気がしている。とはいえ、日本も「構造的暴力」の一翼を担っていることを確認しておきたい。決して責任がないということにはならない。ガッチャン(強行採決)して積極的平和主義でござい、と言っているような反知性的政治が行われているのが日本の現実だが、本質的な平和への道とは何かを、(シリア難民だけでなく、アフリカのソマリアやナイジェリアなどの全世界的な難民問題も含めて)考えるべきだと私は思っている。

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