2015年9月14日月曜日

オペレッタ・ミカドと日本観

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「二十世紀と格闘した先人たち-1900年アジア・アメリカの興隆-」(寺島実郎/新潮文庫・本年9月1日発行)をまだ読んでいる。日本人の話も多いのだが、岡倉天心の章に、オペレッタ・ミカドの話が出てくる。著者の寺島氏はロンドン・サボイ劇場で150年ぶりの再演を見たそうだ。

オペレッタ・ミカドは、猪瀬直樹の本の中で紹介されていて、私もギルバート&サリバンの原作をもとに、全く違うオペレッタ・ミカドの人形劇のシナリオ「ミカドはジグソーパズルがお好き」を書き、公演した経験がある。主人公の名前は、今も覚えている。ナンキプーというけったいな(関西弁で変な、奇妙なという方言)名前だった。ミカドの皇太子である。私のシナリオでも、そのまま使った。ヒロインの名前はヤムヤム。これもそのまま。オペレッタ(小歌劇)なので、何曲か歌も書いた。大変だったけれど、今では、懐かしい思い出である。

*ミカドの画像をリサーチしたら、かなり現代的な演出のものもあった。機会があれば見てみたいなと思ったりする。

当時は日本ブームだった。だが、それはかなり歪んだもので、このミカドが、その象徴的存在であると著者は言う。森鴎外も留学先のドイツで1886年に見ている。19世紀のヨーロッパでは、日本は「極東の奇異な国」としてイメージが定着する。こういしたイメージに形成に対する日本人の問題意識を基盤に、この時期、日本人による日本人論・日本論が英文で世界に発信された。内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「東洋の理想」「茶の本」という系譜だ。

ここから岡倉天心の話が始まるのだが、私のエントリーは、違う方向に流れていく。一時期、地理の学習のイントロダクションとして、様々な国の日本を紹介した教科書を紹介していたことがある。なかなか酷いものが多かった。日本人は木と紙の家に住んでいるとか。茶色いスープ(味噌汁の話らしい)を飲むとか。浦島太郎がワニに乗っていたり…。

こういう誤解は、もしかしたらお互い様かも知れない、というのが私の意図だ。地理では、様々な興味付けをするために、世界各国の話が出てくるが、私はなんでも知っているわけではない。本で読んだ知識では間違いがあるかもしれない、という話を最初にしたのだった。

南アのプレトリアのバックパッカーズのTVで、日本の畳の生活や新幹線や東京のラッシュアワーなどが凄いスピードでフラッシュするCMを何度か見た。うーん、これが日本だと思われるとなあ、と苦々しく思ったこともある。さすがに、ITの進歩で、こういう誤解は少なくなったような気がするが、案外子供の頃にインプットされた知識や経験は大きな影響を与えるような気もする。社会科教師としては常に自戒しなければと思う次第。

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