2011年3月23日水曜日

キノコの種

原発の危機的状況は若干停滞しているようで、関係者の皆さんに感謝申し上げたい。日本にもまだまだサムライがいたことが嬉しい。しかし、誰もが安心感を抱いたときこそが最も危ないと私は思う。

さて、今日は1日中、今まで溜まった様々なモノを整理していた。日本以外ではあまり血液型のことは言わないらしいが、私はB型の中でも過激派である。9年間の様々な書類やテストや教材や家から持ってきた書籍などが、社会科準備室と机上にあふれている。K老師の指導を受けて、まずは個人情報保護上、絶対処理しなければならない書類をシュレッダーすることにした。あまり見ずにどんどんシュレッダーすることにした。でないと進まないということだった。
昔、生徒指導主事だったころの指導ノートや、市立高校生指部会の資料は、当然シュレッダーである。若手の体育のM先生が、シュレッダーしていると、「先生、その冊子何すか?」と聞いてきたので、市立高校生指部会の資料を見せてあげた。7年ほど前の資料である。中心者だったM先生は校長、S先生は教頭になっておられる。「このYって、Y先生すか?」「そうだよ。」と仲の良いY先生の方を見た。O先生は、新赴任校におられる。T先生は、4月から本校に転勤してくる。時の流れを感じる次第である。
担任をしていた頃の様々な生徒の個人情報もたくさんあった。成績、作文、模擬テストの結果、遅刻票等々。懐かしいが、見ている暇はない。授業で提出してもらったものもたくさんあった。ふと、手を休めたのは、本校に赴任した時の国語科3年A組のディベートの提出用紙である。細かい字でビシッと肯定派と否定派の論旨を書きとめてある。審判にあたっていた生徒諸君のものだ。今、某中学校の国語教師のO君らのクラスである。優秀だったよなあと思う。最後のディベートは、「ゆとり教育」についてだった。否定派の最後の反駁の時、何かの小説だったかを、現在小学校で習う漢字だけで記した模造紙を用意していて、「これがゆとり教育の実態です。」とやった。ひらがなだらけだ。凄い。「なんと良い学校にきたのだろう。」私はものすごく感動したことを覚えている。

そんな中で、ときおり写真も出てきたりする。今日の画像は、発見された貴重な写真。5年前の文化祭。生物の先生で今は某高校の教頭になっている熱血のS先生と、同じ3年の担任でバレー部の顧問だったM先生と、1年担任だった私が光の庭でフォークグループを組んだ時の写真だ。この時、S先生の強い希望で吉田拓郎の「落陽」と井上陽水の「東へ西へ」をやった。その間の曲で、私がジャンべ(アフリカンドラム)を叩き、JAMBO BWANAを3年生の地理Bの生徒と歌ったのだった。実は、この前年にピーターオルワ氏が本校に来て、この歌を唄っており、2.3年生はJAMBO BWANAを知っていたのだった。
グループ名は「キノコの種」である。キノコが大好きな生物のS先生と、バレー部のM先生のファーストネームをアレンジしたのだった。私が考えたのだが、かなり気に入っている。(笑)

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