2011年3月31日木曜日

被災地の卒業式に思う

東日本大震災の報道の中でも、卒業式の報道に私はどうしても涙する。卒業式というのは、教師にとっても、晴れ舞台であるとともに、それまでの苦労が払拭される時でもある。被災された児童・生徒と教師、そして保護者の方々が、様々な場所で行われている映像を見ると自然と涙してしまう。

阪神大震災の時、私はあるイベントで、神戸の避難所となった小学校の教頭先生が書かれた手記をもとに、脚本・演出をしたことがある。ストーリー・コーラスという形式だった。ストーリー・コーラスとは、舞台にクラス写真を取るときに使う階段状のセットを置き、50人程度のコーラス隊を置いたまま、前で演劇するパフォーマンスである。コーラス隊の歌が演出上重要な位置を占めるので、オペレッタの一種だが、演技者は歌わない。当然場面転換や背景はなく、小道具も最少しか使わない。
阪神大震災の時、すぐに救援にも行ったが、このイベントのため取材ににも行った。手記を書かれたご本人にお会いするために行ったのである。まだ周囲には青いビニールがあちこちにあって、避難者の方もまだまだおられた。現場を実感した上で、脚本を書いたのである。

24時間体制で奮闘する教員達。涙にくれる被災者。そして痛みを共有する子供達。重い内容だった。脚本で、私は、最後にこの避難所となった小学校の卒業式を置いた。この学校の卒業式では、卒業生一人ひとりが、卒業のコトバを言っていく。そのタイトルが「いっせいに芽を吹き出した雑草のように」という詩で、これはこのストーリー・コーラスのタイトルにもした。後方で、本来は歌を歌うだけのコーラス隊に、その「卒業のコトバ」を言ってもらった。実は、演技者もコーラス隊も全員が教員である。彼らもそれぞれの思い出がある。鬼気迫る演技となった。

いっせいに芽を吹き出した雑草のように。

そう、いっせいに芽を吹きだした雑草のように、たくましく生きていこう。神戸の子供達の訴えは、観客の心を打った。そしてなにより演技者/コーラス隊の心も打った。あの時の思いを今回の東日本大震災の卒業式に見るのである。

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