2011年3月29日火曜日

JICA高校生セミナーの9年間

JICAのセミナーのことを、国際理解教育に関わる方々にもシェアするつもりで今朝書いたばかりだが、9年間にわたる変遷についても、すこし書いておきたいと思った。おそらく最も古株の参加教員である私だからこそ書けることもあるだろうと思ったのだ。私にとって、このJICA大阪の高校生国際協力セミナーは大きな存在である。

本校に赴任した年の夏に始めて参加した。たまたまY先生という英語の先生(今は委員会におられる)が、本校にきた参加書類を持ってきてくれたのだ。参加は先着順とある。ならばと、地理Bの国語科の3年生二人と、テニス部の英語科2年生(そのうちの1人がLily君である。)に声をかけたのだった。当時は、千里中央からバスに乗ってJICA大阪国際センターに向かった。その後大阪モノレールの阪大病院前から歩いた。この4年ほどは、モノレールが延びて豊川から歩くようになった。この頃は、最初に研修員さんを交えて学校紹介があり、Lily君の確かな英語力が発揮された。また研修員さんとの交流も初日、二日目と2回あった。これは日帰りの読売新聞だったかの高校生セミナーと合体していたからだと今思えば推測される。兵庫の聖心女子の生徒が私のワークショップグループにいて、凄い子だった。あの頃はJICA兵庫だまだなく、ホント近畿一円から来ていた。(今は兵庫県からはJICA大阪には来ない。)体育館で難民のワークショップをやったと記憶している。当時の川口外相が突然セミナーを視察されたのも思い出深い。本校の席にも来ていただき、英語科と国語科の紹介をさせていただいたことを覚えている。そして今の研究発表に当たる第2目の夕方からは、本気のディベートだった。肯定派と否定派にワークショップグループが別れ、真剣に立論や反駁の用意をしたものだ。ほとんど全員徹夜で準備していたようだ。ディベートは、莫大な資料準備と文章力、コミュニケーション能力が必要である。凄い刺激になった。工業高校から本校に来て、優秀な生徒に恵まれ、このような場にいれることが心の底からありがたかった。
以来、春のセミナー、夏のセミナーと年2回のセミナーを見越して、公募して生徒を集めるようになった。抽選で1年生が選ばれることもあった。かなり先の参加者が決まってしまったりもした。私に参加書類を見せてくれたY先生にも行ってもらったこともある。社会科のT先生、国語科のT先生にも3日間参加いただいたこともある。英語科のR先生や国語科のY先生、私の後継者でもあるU先生にも今回の後輩の口の悪いI先生のように、初日だけ参加してもらったこともある。この間、本校が参加していないのは、私がJICAのケニア視察旅行に行った夏と、予定していたM先生が急病で倒れていけなくなった2回だけである。まさに常連校だと言って良いと思う。本校、あるいは本校以上の常連校は、府立三島高校である。三島は、毎回先生をローテーションして参加している。だから三島の先生方とは旧知である。さらに大阪教育大学付属池田もここ数年毎回参加である。
様々な高校が今まで集まってきた。1回だけの学校もあれば、何度か参加して来なくなった学校もある。一時、レベル(具体的に言えば、ディベートの能力)が低下して、ディベートが出来なくなったとJICAは判断したようで、当時中心的存在だったMさんが、パネルディベートというカタチで行ったこともある。それが、やがて研究発表形式になり、春夏2回開催が、春だけになった。これは大阪でインターハイがあった年からである。教員の予定がつかなくなったのだった。たしかに、入試の形態も大きく変化したし、夏休みも短くなった。取り巻く環境が窮屈になった高校の教員としてはよほどの熱意がないと、年2回、2泊3日の日程は苦しい。
レストランにて メキシコの研修員と
とはいえ、本校は参加し続けた。国語科・英語科のバランスを取った年が続いたが、英語科だけの年もあったし、国語科だけの年もあった。公募をやめ、一本釣りの生徒集めが主流になった。たくさん参加した私の担任した学年もあれば、全く参加しなかった学年もある。春休みの2年生の英語セミナーが鬼門になった年もあった。
セミナーの内容も、バラバラでワークショップの陳列のような年もあったし、近年のようにテーマがあって、それを受けてのワークショップを厳選した年もある。私は、このセミナーでどん欲に学んだと思う。アクティビティをどんどん増やした。さらに機会を求めて、国際理解教育の様々なセミナーにも参加して学ぶようになった。アクティビティに罠があることも、このJICAのセミナーで学んだ。JICAのセミナーは私の「学校」だったのだ。

本校からこれまで多くの生徒が参加した。満足度は100%である。毎回自信をもって参加を勧める。研修員さんとの貴重な交流体験、他校の生徒との交流、セミナーで学ぶ参加型学習、国際色豊かなレストランでの食事…何もかもが本校生にとって貴重な体験となった。

私のお気に入りの場所 喫煙室
大阪国際センターの2階に、喫煙ルームがある。休憩時間、私は常にそこに足を運んだ。様々な国の研修員さんがやってきて、会話を楽しんだ一番の思い出の場所である。今年は、震災のこともあり、節電で夜は真っ暗。今春は、ここで誰とも会わなかったのがさびしい。

チュニジアの消防士さんは革命の最中、大丈夫だろうか。
パラグアイの美人消防士さんも元気だろうか。もうママになっていると思う。アスンシオンの大火の時命がけで頑張ったのだろうと思う。
アルメニアの博物館の大学教授もお元気だろうか。不穏な情勢の中で博物館の整備に頑張っておられると思う。

サントメ・プリンシペから来ていたIT技術者氏は今どうしているのだろう。
イラクのサマワから来ていた方々は、あれからどうなったのだろう。
ジンバブエから来ていた技術者は今は南アに逃れたのだろうか。

JICAセミナーは、多くの研修員さんとの出会いをつくってくれた。私の「地球市民の記憶」の震源地でもあった。

2 件のコメント:

  1. 母校では生徒はディベートもコミュニケーションも徹底的に鍛えられますから、学外での実践として経験値がすごく上がるセミナーですよね。人との繋がりもでき、国際協力について学ぶこともできる!
    あとは、生徒に先生のような地理的な知識があるといいですよね。
    毎年いろいろなアクティビティーがあって、それをたくさん見てこられた先生が羨ましいです。H高に行ったらH高の生徒を連れて行けそうですか?

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  2. Lily君コメントありがとう。H高校でもがんばろうと思っている。2年生の世界史Bの生徒がターゲットやね。どれくらいの生徒かわからないので、なんともいえないけど、頑張る。(笑)3年生の政治経済では、アフリカ開発経済学テキストをつかって、そこから、政治経済の学習内容を開いていくつもり。

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