2022年8月31日水曜日

マレーシア政治体制論を読むⅡ

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8月31日。今日は、マレーシアの独立記念日。意義深いこの日に「民主主義の自由と秩序ーマレーシア政治体制論の再構築」の書評の続きである。今日は1971年憲法修正をめぐる第3章の要約をしてみたい。

この71年の憲法修正は、1969年5月13日の暴動を受けてのものである。この暴動は、10日に行われた総選挙・州議会選挙で、マレー系ではPAS(非マレー7の市民権やマレー人経済の後進性、特別の地位の保護を争点にした)に与党IMNOが侵食され、非マレー系でも、DAP(マレー人の特別の地位に不同意、華語の公用語化を争点にした)、PPP(民族間の平等を唱えた)やグラカン(マレーシア民政運動党:MICの分派で華語やタミル語の使用制限、マレー人の特別的地位を批判、民族間の平等を唱えた)などが与党MICを侵食した。DAPとグラカンによる祝勝パレードに対抗したUMNO政治家に指導されたマレー人の行進が衝突したものである。この暴動を受けて、ラーマン首相の助言の下、国王は非常事態宣言を出され、議会は停止、臨時政府・国家運営会議によって治安回復を行った。マハティールのラーマン首相辞任要求で再燃した政治制度への構想の練り直しは、民族間の差異と対立を所与としたうえで、それぞれの権利への攻撃を抑止する法改正を行うことで自由民主主義を回復するという方向性に向かう。10月「5月13日の悲劇」という白書が刊行された。暴動の原因として、(1)世代間格差(2)民族によって異なる憲法解釈と移民民族によるマレー語とマレー人の特別の地位について定めた152条・153条への政治的侵犯(3)選挙における民族主義政党のメンバーによる挑発的な言動(4)マラヤ共産党や秘密結社による民族感情や疑念の扇動(5)マレー人の自国内での生存と福祉に対する侮辱と脅迫に由来するマレー人の不安や絶望感の5つを挙げた。

この白書を見ると、71年の憲法改正はマレー人が原動力になっているようにみえるが、非マレー人側にも政治制度の見直し要求があった。非市民労働者の登録と許可を義務付けた雇用法が、NOCによって暴動後12の業種から全業種に拡大された。さらに11月に市民権の再検査が発表された。これにはMICを始め、野党も反対声明を出すとともに、自らの市民権と正当な利益を保護する必要性を痛感するはめになった。一方で、新経済政策(NEP)が動き出す。資本所有や雇用分野でマレー人利益の保護を目的とした政府介入の必要性が語られ始めた。非マレー人企業家は政府の介入をできるだけ抑え、原稿の自由な企業活動を保証する必要を感じていた。

70年1月にNOC(国家諮問評議会)の第1回会議が開かれた。これには、与党のUMNO、MCA、MICと軍、警察(暴動直後に結成された国家運営会議)、行政府、州政府、サバ州、サラワク州、宗教団体、専門家団体、報道、労働組合、企業組合、教師組合、少数派民族、女性、野党の代表が参加した。(野党・DAPは不参加)NOCは「メンバーが恐怖心なしに意見する」ことを可能にするため秘密会合とし、発言や提案に免責特権が与えられた。3月の第2回会合で、憲法についての議論が始まり、7月非常事態勅令を発令、扇動法を改定し、国語・マレー人とその他の先住民族の特別の地位、マレー人統治者の特権と宗主権に関連する憲法の規定に意義を唱える(言葉・声明・発言・印刷・出版)ことを禁止した。また合わせて結社法も改正され、扇動法に違反する結社の登録を取り消すことになった。第4回会合では、(1)国民統合のために民族間の経済的不均衡が縮小されるべきこと(2)すべての民族内部に貧困問題が存在するため「持つ者」と「持たざる者」の格差を是正する必要が有ることが合意された。8月31日独立記念日に、議会制民主主義が翌年2月に復活すると発表。12月の会合で憲法改正法案が議論された。…続く。

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