2022年8月22日月曜日

長英逃亡(下) 吉村昭 

何冊もの併読の影響で、今日の通勤でやっと「長英逃亡」を読み終えた。高野長英は、当時蘭学書の翻訳においては、無双の存在だったようだ。逃亡を重ねる長英に、宇和島藩の伊達宗城が手を差し伸べる。宗城と薩摩藩の島津斉彬は昵懇の仲で、海防を巡って長英の力を得たいと二人とも考えていた。斉彬の方はお由羅騒動で未だ藩主の座にあらず、まずは宗城が長英を探し出し、宇和島藩で買い貯めた蘭書の翻訳を依頼する。もちろん宇和島藩の医者の付き添いがあるとは言え、関所を超えるのにまたまたサスペンスなのであるが…。ともかくも、宇和島で長英は、この国家の危機にあって翻訳で海防の役に立つという本懐を遂げる。

佐久間象山もそうだが、才に溢れた人というのは、自らの本懐のために冒険を惜しまない。同時に周囲もそれを支えるのだが、幕府の隠密によって宇和島での滞在も危機に瀕する。ならば薩摩へと長英は考えるのだがが、未だ斉彬は藩主になれずであった。そこで、長英は仕方なく江戸に戻る。しかし、幕府からの翻訳禁止令が出て、生業が干上がってしまい、経済的に行き詰まる。長英は、妻子を養うために、蘭学医を改めて生業とする決意をし、顔を焼くのだ。丁子油(日本刀の手入れに使われるクローブ油)を左眼の下から頬一面に塗り、顎までひろげ、ガラス瓶に入った発煙硝石精(硝酸カリウム:KNO)を振りかけたのである。私は長英が、顔を焼いたという事実だけは知っていた。逃亡の為の話だと思っていたが、妻子を養うためだったことに驚いた。

これでひと安心と思われたが、長英の訳した本が出回り、そのあまりの出来の良さに長英の存在が疑われることになる。写本の経路をたどると、江戸に潜伏していることをつかんだ南町奉行所(遠山の金さんがちょうど奉行だったらしい。)は、長英の素顔を知る囚人を使い、ついに居所を見つけ踏み込む。凄い修羅場になり、この時点で長英は死亡する。火付けは火あぶりであるが、遠山の金さんは、あえて死罪に減刑する。すでに死んでいるのだが、そもそも長英は洋学嫌いの鳥居耀蔵(8月6日付ブログ参照)に恣意的に入牢させられたことを知っていての”大岡裁き”であった。とは言え、塩漬けにされた長英の遺体を斬首している。

高野長英の人生は、少しずつボタンの掛け違いで、自らも周囲も巻き込んで苦悩していく人生である。海防の意見書を出すのが早すぎたし、鳥居耀蔵の悪意がなければ問題がなかった。牢に火付けしたことで大罪人になったが、その直後に鳥居耀蔵は失脚している。そのまま大人しくしていれば、その才により幕府に雇われたかもしれない。また捕まり死んだ3ヶ月後に斉彬が藩主になっている。隠密も入れなかった薩摩でさらに翻訳を続けれたかもしれない。長英逃亡を支えた人々も様々な刑に処せられている。最も関わりが深かった数学者の内田某だけは、太陽暦の採用、学士院総説などに関わったようだ。彼が生き延び明治期に大成したことは、数多い不幸中の唯一の幸い、という感想である。

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