2017年2月1日水曜日

マレーシアの民族的間合い2

著者HPより ペナン島の町並み
https://sites.google.com/site/yushiutakaweb/nyusu
「住まいと暮らしからみる多民族社会マレーシア」(宇高雄志著/南船北馬舎)の書評(1月10日付ブログ参照)の続編である。1月はエントリーする事が多くて、延ばし延ばしになっていた。さきほど、エントリーした中で、花火に見る民族の住み分けについて触れた。むりやり関連づけてエントリーしておこうかと思う。

プミプトラ(マレー優先)政策について、非マレー系の人々はたしかに不利益をこうむっているといえる。しかし、この政策による国富の拡大は、非マレー系の間でも共感されるものになってている。ある中国系ビジネスマンの言。「マレーシアはいい国だよ。中国に戻りたい?まさか。そんなことは思ったことはない。私たちにとって大切なことは、家族があって、仕事があって、住む場所があって、友人がいる。いいところだよ。もっとも、マレーシアに住むというよりも、この街に住むということかな。子供たちはオーストラリアと台湾の学校へ行った。退職したら子供たちのところに行ってもいいし、この街に住むのもいい。」
中国系マレーシア人は、今や華僑ではなく、定住を決意した国の一員としての理解が自然になってきている。社会的な違和感を抱きながらも、成長を続けるマレーシア社会の勢いを評価し、それが自らがマレーシアに生き続ける根拠であるという認識がある、との著者の指摘、なるほどである。

ある企業経営者の言。「マレーシアは民族ではなく経済力で分かれている。経済成長から取り残された者がいる。マレー系が貧しいだけではない。インド系にも中国系にも忘れられた人々がいる。今は経済成長が続いているので民族関係は穏やかだが、貧しい人々のあいだでは低賃金できつい仕事をいまだに奪い合っている。」
「国家」を背景に見立てたサクセスストーリーの共有は国民意識を芽生えさせた。メイ・サーティーン(民族対立が暴力化した5月13日事件)の記憶を負の遺産として経済の不安定こそが民族関係に影を落とす、そうした危機感が国民の意識に深く刻まれているかのようである。この著者の指摘も、大いに頷いてしまった。

ある識者の言。「政府のやり方は巧妙だと思う。民族間に横たわる問題をすべて経済の課題に置き換えた。国民生活の心の領域まで踏み込むことはなかった。信仰や文化についても多元主義を貫いた。プミプトラ政策も現実的だと思う。民族間の格差や異質さを根源的には市場経済の神の手にゆだねたのだからね。」
国家の成功体験を個人にシンクロナイズさせ、それに共感する場として都市空間が整備された。プトラジャヤ、サイバージャヤの2つの未来都市がそのシンボルとなっているという指摘にも、10ヶ月間の滞在で、なるほどなあ、そういうことか、という感慨がある。

それぞれ鋭い指摘であると私は思う。この本は2008年に発行されている。以来10年弱の月日が流れているが、このマレーシアの多文化社会を経済が支えているという社会構造自体は大きく変化していないと私は思う。その是非を問う気など私にはないが、マレーシアの多文化共生を考える上で極めて示唆的な内容であった。いい本だった。こういう本との出会いに感謝である。

ちなみに、この本の著者は建築や都市環境の専門家(兵庫県立大学の教授)で、冒頭、ペナン島のショップハウスの話が詳しく書かれている。ペナン島行の前にそのあたりを再読するつもりである。成長著しいマレーシアもいいが、古き良きマレーシアもいい。

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