2017年2月10日金曜日

奇祭 タイプーサムの残像

昨日の興奮がなかなか冷めない。朝、いつものバスで出会ったインド系の人々とタイプーサムの話で盛り上がったが、こっちの英語力(特にリスニング)のなさを実感する。(笑)
とにかく凄い人出だった。普段、私は人混みが大の苦手なのだが、あれくらい多いともうどうでもよくなるくらいの多さだった。KLにこんなにインド系がいたのかと思うほどである。どうやら、本国からも来ているらしい。外国人観光客も多い。電車で乗り合わせた人々はヨルダン人だったが、世界中からこの祭を見に集まっているらしい。日が暮れて、電飾の山車を見に門の外に出ようとしたときなど、押しくらまんじゅう状態であったし、帰路の駅は大混雑で乗車規制をしていた。ふと、いつ帰れるのだろうかと思ったくらいだ。

ところで、この祭りは早朝の方が大混雑するらしい。夜を徹してKLから、肉体的な苦痛を伴う苦行者が歩いてくるらしい。文面では表しにくいかなりの苦行で、観光客からすれば、これこそがお目当てであるらしい。早朝に行ったT先生によると、それはそれは…という話だった。だが、歩く分には夜の方が涼しくていい。マレーシアに来てから、太陽をオテントウサマと呼びにくくなっている。(笑)あのストロングな太陽をさけて、苦行するというのも、インドらしくていい。私が昨日目にした人々は、その太陽の苦行に耐えた人々である。彼らの消耗は凄かった。実は、階段で倒れてしまっている人もいたのだ。あと少しのところでへばってしまっていた。人間くさくて、まさにインドだ。
女性の苦行者の姿もあった
寺院内は、莫大な飲料のゴミで酷く汚れていた。聖地という「清らかさ」はない。これもインドそのもの。苦行者の横で、商売を続ける業者もいる。遠慮なしのカメラのフラッシュ。まさに聖と俗、美と醜の混じり合ったカオスそのものだった。

祭りと言えば、天神祭くらいしか知らない大阪人としては、その混濁した人間の汗まみれの祭典に臆するしかなかったのである。未だにその残像が消えないのであった。

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