2017年2月3日金曜日

佐藤優 トランプと詩編133

https://www.bibliatodo.com/la-biblia/kadosh-israelita-mesianica/salmos-133
佐藤優氏が、講演会で、トランプ政権の読み方について語っている。WEB上で見つけたのだが、ある意味、衝撃的な話であった。トランプ氏はイスラエル中心主義者だと言うのである。親族(娘婿:長女は改宗/孫も)にユダヤ人がいること、エルサレムに大使館を移す件など、親イスラエル的なことは承知していたが、東洋経済の高橋浩祐氏のこの記事を読んで、私は背筋がぞっとした。

佐藤優氏が指摘するのは、就任演説中で引用した、旧約聖書の詩編133。「神の民が団結して生きることができたら、どれほどすばらしくうれしいことでしょうか。」これは、バビロン捕囚から解放されたユダヤ人の喜びの歌であるらしい。佐藤優氏によれば、(神学に詳しい)玄人が聞いたらみんなわかる詩で、ユダヤ教とキリスト教で神に基づく世界支配は、イスラエルから広められる、ダビデ王を理想とした救世主的信仰(メシアニズム)を典型的にした、イスラエル中心主義の内容になっているというのだ。

アメリカでは、クリスチャンシオニズムがかねてから根強い。(ブッシュ政権を支えたネオコンサティブは、ユダヤ人をキリスト教徒にすることが天命だと考えているが故にイスラエルを守ろうとしている人々の別称である。)トランプ氏のイスラエル中心主義は、ブッシュ以上に強固な信仰をバネにしている可能性が強い。

ところで、彼はカルヴァン派の長老派(ブレスビテリアン)の信仰に熱心である。予定説に基づいているので、「試練にすごく強くなる。どんなにひどいことにあっても負けない。神様が与えた試練だから最後に勝利すると決まっていると考える。問題はどういう勝利の仕方なのか、と考える。」と佐藤優氏の言。さらに「(彼は)自分が神様に選ばれたときっと思っている。」

就任式前、トランプ氏は、テキサスの牧師の説教を受けている。その中で、エルサレムの城壁を再建したネヘミヤにたとえられたたらしい。「壁を建設することに神は反対していない。ネヘミヤは、決して自らの批判者に妨害させることを許さなかった。」ここで言われる批判者はマスコミをさすようである。だから、(民主主義のテーゼ:マスコミによる批判の意義をぶっとばして)NYタイムズをあそこまで罵倒できるわけだ。

…うーん。個人の信仰の問題だとは思うが、権力者が、宗教者の強い影響を受けすぎるのはどうかと思う。大統領は極めて公人として振る舞うのが筋だ。同時に弾劾されそうな韓国の朴大統領を思わず連想してしまった。

…彼のツィートに、世界中が揺り動かされている。まるで預言者のコトバではないか。全く良くできた演出である。トランプ氏のこういう私的な部分と、大統領という公的な部分の線引きが出来ていない人格的稚拙さに、強烈な違和感がある。

…要するに、選民思想を強く持ったイスラエルの強硬右派の首相・ネタニヤフがアメリカ大統領になったようなものである。しかも、(歴史用語である)王権神授説っぽくなっている。

…そうなると、民主主義の原点・法の支配(人定法)より、神のコトバ(神定法)こそが重要視される。自分に都合の良い政策は神の認めたことと信じ込むことが可能だ。ならば、イスラムに対して容赦ない宗教戦争を始めても、(おそらく他の偽善的な理由をつけるだろうが)神の意志と、片づけられてしまう。
http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-3036.html
…まるで、中世である。アメリカは、ポスト=モダン(近代国家を超えたグローバル国家)から、一気にプレ=モダン(近代国家以前)に逆流していくのであろうか。そうならば、オーストラリアの首相に暴言を吐こうと、それは神の言になり許される。イランに軍事的制裁を行おうと、それは神の行いになり許される。なんでもありである。

…民主主義の総本山のアメリカが音をたてて崩れていく。そして第5次中東戦争の危機が間近に迫ってくる。これが私の背筋がぞっとした理由である。

http://www.msn.com/ja-jp/news/world/

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