2016年9月22日木曜日

IBTの話(39) 「法人」を問う。

http://globalization.jp/wp3/blog5616
授業の話が前後するが、需要曲線の講義の前に、企業についても話していた。この授業でイスラム教徒である国費生の授業で以前から問いかけたい内容を問いかけたのだ。それは「法人」の概念はイスラム法に合致するか否かという問題である。もとより、彼らは18歳の学生であって、イスラム法学者ではない。だが、日本で経済学を修めるつもりの者もいる。日本は今、ちょっとしたイスラム・ビジネスブームである。ハラル認証やイスラム金融などに光が当たっている。そんな中に飛び込んでいくわけだ。様々な学問に興味を持ってほしいし、同時にイスラム教徒としてのプライドを失わずに学んで欲しいと私は思っている。

法人の概念や具体例を教えた後で、イスラム法との兼ね合いは如何?と尋ねたのである。これは、中田考氏と橋爪大三郎氏の「クルアーンを読む」からの受け売りであるが、要するにイスラム教では、最後の審判で個人の罪が裁かれるというのが大原則である。

法人は、法的には人間として扱いを受けるので裁判などでも被告たりえる。、たとえば、明石市での花火大会での事故の場合を例にとって聞いてみた。JRに責任があるのか?明石市役所か?あるいは警察か?その全てが「法人」であって、個人として裁かれるわけではない。もちろん、責任者が出廷することになるが、個人として裁かれない。

中田考氏は、上記の論証によってイスラム法的には「法人」という概念は、そぐわないと主張している。さすが、生徒は唸った。反論できるだけの日本語能力はまだないのかもしれない。でも、私は、経済学を学ぶ生徒は、是非ともそういう(内側からの)イスラム経済学に対する批判があって、それらを無視するのではなく、真摯に受け止めながら考え、自分の意見を構築して欲しいと思うのだ。

さすがに、こういう授業は日本にいては出来ない。マレーシアにきて半年。私も大いに生徒に学びながら、進んでいきたいと思う。

中田氏のイスラム経済に対する論考の一部分がWEB上で公開されている。極めて興味深い。
http://hassankonakata.blogspot.my/2012/12/blog-post.html

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